どうしてこういうタイムテーブルになっているのだろう?シンガポールを夜の7時頃出発したSQ機は約5時間のフライトののち、9時過ぎにデリーのヒンディラ・ガンディー国際空港に着いた。予想通り空港ターミナルの照明は薄暗くて、いかにも非先進工業国に来たという気にさせる。今回は仕事なので空港からのクルマも手配してあるし、ホテルも一流どころをとってあるのでなんてことはないが、もし今まで通りの宿も何も予約していないスタイルで来ていたとしたら、いきなり大きな不安に襲われること確実。できることならこういう国に入るときは昼間明るいうちに入りたいものだ。
イミグレーションカウンターは到着ロビーから階下に降りなくちゃいけないのだが、これまたエスカレーターが止まっている。一体何を考えてんだか。イミグレーションカウンターは既に長い列ができていた。照明の暗さといい、長い列といい、この手の国では普通の光景だが、最近はもっぱら立派な空港の国にしか行っていなかったので、去年の7月のベトナム以来約10ヶ月ぶりの雰囲気に、なんだか懐かしさと旅情を感じてしまう。イミグレーションは想像どおり仕事が遅い。それでも無駄話や手を休めていたりすることはなかったので、それなりに真面目に仕事をやっている感じはする。このあたり、ベトナムとは大違いだ。ま、いずれにしても遅いことには違いない。
イミグレをやっとのことで抜けると、なぜか荷物のX線検査があった。入国のときにX線検査があるのは非常に珍しいと思うが、準戦時下とも言える国ならではなのだろうか?その割に税関がノーチェックだったのはなんとも解せないが、インドだもん、と言われれば、まあそうだなと思ってしまうあたりが、やっぱりインドであるな。
出迎えの人たちの中で私たちの名前はすぐに見つかった。なんと言っても、今回はバックパックではない、れっきとしたビジネス旅行なので、ホテルのクルマを迎えにこさせているのだ。ドライバーについて歩いていくと、突然身なりのしっかりした紳士が現れて、私たちの荷物をお持ちしますよ、と言ってきた。いかにも怪しい登場のしかたではないか、セニョール。チッチッ、その手には乗らないぜ。どうせほんのちょっと運んだだけで法外なチップを要求してくるんだろうが、こちとら、そんな手口でもう何度も騙されているのだ。これ以上同じ手に引っかかったらアホだぜ、などと思っていたら、いつの間にかドライバーがどっか行っちゃったぞ。なんだなんだ、グルかよ。ちゃんとホテルの、それもインターコンティネンタルという四つ星だか五つ星だか知らないが、とにかく高いホテルなのに、やっぱり何かカラクリがあるのか、実に奥が深い、深過ぎるぜ、インドは、などとうろたえの兆しが見え始めた頃、その紳士もまたホテルからの人だったことがわかった。ドライバーは駐車場までクルマを取りに行ったということだった。まあ、確かに二人がグルだったことには違いないので、私の想像もまるで間違いではなかったのでよしとしよう。
ひとしきり、誤解された哀れな紳士とクルマを待ちながら話していたが、インド訛りがひどくてなかなか難解な英語であった。クルマがくるとまずトランクを開けてなにやら発泡スチロールの箱をまさぐっている。再びの怪しい動きに一同(と言っても多分私だけ)また警戒の色を強めたところに差し出されたのが、ウェルカムドリンク(ただの缶コーラ)である。早い話が発泡スチロールはクーラーボックスだったのだな。急に魚が一匹とか出てきたら面白かったのだが。しかし、警戒をまだ解除していない私は、睡眠薬が入っているのではないかと心配して手を付けずにいた。ってゆーか、同行したダニエルが飲み始めたので暫く様子を観察していた。10分近くたってもなんともなさそうだし、まあ飲めよ、って言われたことだし飲んだらやっぱりなんともなかった。
翌日、昼メシを食べにオフィスから外に出たところ、暑さはともかくあまりの埃っぽさに辟易してしまった。どこからどう埃がたっているかはよくわからないが、とにかく埃っぽい。サングラスをしている人が多いのが納得できる。なにせ、3分くらい歩いてレストランのあるビルに入って身体を叩くと、ボワッと埃が舞うのかというとさすがにそんなことはないが、まあとにかくなんと言うかほこり高きインド人である、などと使い古されたダジャレの一つも言いたいが、英語だとシャレにもなんにもならないので言えないもどかしさよ。写真はオフィスからの眺め。
レストランは大展望レストランで、遥か遠くまでデリーの街並が見渡せるかと思ったら、すぐ近くでも埃で霞んで見渡せない。小展望レストランだった。ただ、意外とデリーには緑が多いことがわかった。ということは雨はそれなりに降るのだろう。聞いたら、南部のバンガロールあたりはもう雨季に入っていて、デリーもあと2週間もすれば雨が降り始めるだろう、ということであった。そうすればこの埃も地上に落とされてクリアな視界になるのかもしれない。その分地面は悲惨になるであろうことは容易に想像がつく。
さて、レストランの方はただの展望レストランだと思ったら、なんと回転展望レストランだった。約90分で一周するという。時計の長針よりゆっくりだ。たまに乗り物酔いを起こす私は窓側を向いて座ったので、微妙な景色の動きに危険を感じ、こりゃヤバイと思って先にアルコールで酔っちゃった。で、料理はどうだったかと言うと、インド料理ですが美味かったすよ、ホント。
3日目の午後はムガル帝国の盛衰の考察とインドの古代建築技術の分析、さらにフツーのインド人との触れ合いを求め、クルマをチャーターして遺跡観光へ行った。決して時間が空いてしまったからではない。更に誤解のないように言っておくが、クルマ代は自己負担です。
最初に行ったのはタージ・マハルと言いたいのはヤマヤマだが、アグラというところにあってかなり遠いので行けません。(注:同年11月の出張時にはついに行ってしまった)ホントはクトゥブ・ミーナールというところに行った。ここは奴隷王朝のスルタンだったクトゥブウッディーン・アイバクっちゅー人が、ヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建てた72.5mの塔である。インド初のモスクが脇にあって、こちらの方が柱の彫刻など見るべきものは多い感じ。それはいいとして、ここはメジャー観光地だけあって、入場券売り場のところには観光客に何か売りつけてやろうという輩がうじゃうじゃいる。この日はあんまり外国人がいなかったせいか、私たちは格好の標的であった。いろんな人に声かけられて、もててもてて困るとはまさにこのことだなあ。
その後は、インド門に行った。第一次世界大戦で戦死したインド兵の慰霊碑になっている。ちょびっとパリの凱旋門に似ているが、あんな洒落た場所にあるのじゃなくて、大統領官邸からまっすぐ官庁街の間を抜けて下って行った先にあり、周りは緑地帯になっているだけ。ベンチ等があってデリー市民の憩いの場になっているかと言うとなんと言いますか、実際はベンチはなくてたいして日陰もなくて、炎天下に芝生に寝転がっている人がいたり、池があってプール代わりに子供たちが行水していたり、確かにそれなりに憩いの場にはなっているが、あんまりスマートじゃないなあ。だいたい、この灼熱地獄で平気で昼寝している人はなんなんだ。
インド門の先には大統領官邸を頂点に、首相官邸や国会議事堂、各省庁などが集中している地帯である。言ってみれば、皇居と永田町と霞ヶ関が凝縮されたようなところ。まさにパキスタンのミサイルはここに照準を合わせるだけで中枢を全て破壊可能という効率的なロケーションになっている。さすがインド。度量が違う。
さて、いい加減疲れてきたところではあるが、時計を見るとまだシンガポールの業務は終わっていない時間なので、私たちとしてももうちょっと悠久のインドを探求せねばなるまいと、バテ気味の身体に鞭打って、じゃあ折角だからオールドデリーの方へ行ってみますか、ということになった。仕事熱心である。実はオールドデリー地区は外務省の海外渡航情報によると危険度2くらいになっていて、社内の規定では出張要注意地域になっている。(6月度からは出張禁止地域に格上げになった。)したがって、私がオールドデリーに行ったことはオフレコである。
でもどうしても、見たいものがあった。野良牛である。と言うのはウソで、そんなのはニューデリーにもいて珍しくもないのだが、ラール・キラーという、ムガル王朝第5代皇帝シャー・ジャハーンが建立した城である。ラール・キラーを見ずして結構と言うなかれ、とは全然言われていないが、正統派デリー観光のハイライトである。特に赤っぽい城壁がほとんど完全に残っていて大変印象的である。1640年頃の建築だ。日本では徳川幕府下でちょうど鎖国が完成した頃である。昔のインドの建築技術は素晴らしかったのだなあ。内部は拍子抜けするほど普通の観光地で、怪しげな人々もいなければ、しつこい物売りもいなくて、インドにいることを忘れそうになる。あくまで「内部は」だけど。
さてと、シンガポール時間で7時を過ぎたことだし、そろそろホテルへ帰りますか、ってなもんでクルマに乗っていると、信号待ちでやってきました、乞食と子供。私たち一同、無言でドアをロックし、何事も目に入らない風に談笑を続けるのであった。子供は乞食じゃないので、一応クルマを拭いてくれるポーズをするが、埃だらけのクルマを水も使わず乾拭きすれば傷が付くことは必至である。これが自分のクルマならタダじゃおかんぞ、と思いつつ、かと言ってクルマから出たらこっちがタダじゃ済まなくなるのは火を見るより明らかであるので、きっと泣き寝入りだな。トホホ。
夜はインドの一般大衆文化を考察するためバーに行った。さすが一国の首都である。小洒落たバーがある。ここで大きな発見があった。女性がいない。店の人にも客にも一人もいないのである。ほぼ満席なのに。まあ、私は別に困りはしないのだが、酒好きの日本やその他の国の女性がデリーで飲みたいと思ったら、老婆心ながらちょっと問題だなあ。もっとも、高級ホテルのバーやラウンジなら女性が一人で飲んでいても違和感はないし、ハッピーアワーなら高級ホテルといえどもとっても安い。
最終日は仕事以外何もしていないので省略するが、どうも仕事で行ったのであまりインパクトのある所へ踏み込めなかったのが残念である。インドの極ハイソな部分しか見ていません。でもインドの匂いはちょっとだけ感じた。できることならいつか列車での旅行もしてみたいのだが、最近ジジイなのでそんな無茶をするとコレラになってしまうと困るなあ、でもカネにものを言わせて一等寝台とかなら大丈夫かな、などと考えているので、そうなるとプライベートで行かないとダメですね。なんてったって、ビザは今年の11月まである。(注:その後11月に1年間有効のビザを更新しました)
ちなみに、ダニエルは帰国後も2〜3日胃の調子が悪かったらしいが、私はなんともなかった。
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