2000年の第2戦となるマレーシアGPを見に行ってきました。第1戦の南アフリカでは250ccで日本人が表彰台を独占する快挙を成し遂げており、しかも翌週は日本GPということで、日本人の活躍が期待されました。
グランプリを見に行ったのは、1988年の鈴鹿の日本GP以来です。当り前ですが当時と同じライダーはいない。まだシュワンツが2年目の頃でしたから遥か昔ですね。今ではシュワンツやローソン、レイニーはもはや伝説のライダーの感さえありますな。
今回のGPを見てなるほどと思ったのは、レースクイーンやキャンギャルに誰一人ハイレグの人がいない。イスラム国家ですから。スターティンググリッドの列ごとに何列目かを示す役割のギャルがいるのですが、身体にピッタリフィットしてはいるものの半袖とシャツと七部丈のズボン。 ダサい。今はどうか知りませんが六日町高校の体操着を思い出しました。しかしそれ以上に驚いたのは、そんな衣装のギャルに対してさえやんやの喝采で迎えるマレーシアの男たち。チームのキャンギャルがミニスカートで出てきたときにはそれはそれは大騒ぎでした。それほどイスラムの掟は厳しいのかというと、よく分からんのですが、街なかにはいくらでも薄着の女性がいる。なにもミニスカートで喜ぶなよ、ましてや七部丈で拍手するんじゃないって思うのですが、なんなんでしょうね。
レース前のセレモニーではマハティール首相が臨席した。私は現役の国家元首をナマで見たのは初めてです。県知事だってナマで見たことはない。小渕首相なんてナマで見る前に入院しちゃったし。。。(注:本レポート執筆時ご存命) いかにマレーシアがこのセパンサーキットに期待するものが大きいか実感しました。ちなみに今年のF1はマレーシアが最終戦ですね。
サーキットのレイアウトとして特徴的なのは、ホームストレートとバックストレートが隣り合せてあり、その間にグランドスタンドが両面を向いてあるので、指定席じゃない今回は両方のストレートの間を行ったり来たりで忙しかった。写真は両ストレートに挟まれたエリア。ここを行き来しました。
肝心のレースの方ですが、125ccはポールポジションは上田。スタートからトップに立った宇井が最終ラップまでトップキープしていたが、最終ラップのバックストレートでロカテリに抜かれた。3位は誰だったかな、ロカテリと同じイタリア人。125ccのトップライダーは日本人とイタリア人とスペイン人だ。大きい物好きのアメリカンやオージーはこのクラスには興味がないらしい。
250ccは第1戦の結果が結果だけに期待が高まりました。ポールポジションは宇川。セカンドが加藤。3、4がなくて5番目に中野。予選結果が更に期待を大きくしますね。で、スタートしてみると宇川はなんと一周目にリタイア。結局中野が第1戦に続いて優勝、ジャックが2位で加藤が3位に入った。表彰式では国旗として法律で決まっている日の丸が並んで掲揚され、同じく国歌として決まっている君が代が流れたときは、感慨深いものがあるなあ。しかし腑に落ちないのは、125ccでイタリア国歌が流れたときはみんなが起立して聴いていたが、君が代のときは全然違った。曲に勢いがなくて聞こえにくかったのは確かだが、果たしてそれだけだろうか?
500ccの予選順位はポールはロバーツ。以下、カピロッシ、ビアッジ、チェカと続く。日本人ではノリックが最高の5位。セカンドローだ。予選のときに2コーナーで転んでしばらく動かなかった青木は、元気にスタートラインに並んでいた。予選10位くらいだったかな。 ホンダ勢は、クリビーレが8位、岡田が11位くらい、ジベルナウはそれより後ろ。地元新聞のインタビューでクリビーレが言っていたように、今年のNSRはまだまだセッティングが出ていない様子。予選終了後、すぐにフレームだけの状態までバラされていたのはマメなのか、それともそれほど深刻なのか?レースを見ていてもスズキやヤマハより断然遅い。それより遅いバイクに乗っている原田はかわいそうだったけど。なぜアプリリアはツインエンジンにこだわるのか、ナゾだ。
で、結果はどうだったかと言うと、ノリックが相変わらずいいスタートを切ったものの、早々にピットインして戦線離脱。変わってトップに立ったのはチェカだが、後方から追い上げてきたロバーツに抜かれるとあとはロバーツが一度もトップを譲ることなく、雨で中断(レースは成立)されるまで走り切った。ビアッジは第1戦ウィナーのマッコイに抜かれて4位。日本人最高位は青木の5位。
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