2001年3月31日(土)

 とうとう2000年の事業年度も終わりました。翻ってみれば、前半は急速なマーケットの立ち上がりから、一部セグメントにおいては需給バランスが崩れ、深刻な供給不足に見舞われるなどの事態もあったものの、過去最高に迫る業績を達成することができました。しかし後半に入り11月頃を境に・・・、おっと、株主総会原稿モードになってしまった。

 それにしても最近の米国の動きを見ていると、どうも不安を感じます。京都会議の議定書を反故にしたり、対露・対中ではなんとなく強硬な政策をとったり、中東和平に関してもどうも様子が違う。国際社会での振舞い方が政権交代とともに様変わりしている印象を受けます。しかもそれが素人目にはあまり良くない方向へ。

 間の悪い事に、米国内でも経済環境の悪化が表面化している時期で、減税実施を巡って政策が迷走しそうなのだから、大統領も大変だとは思いますけど、好きでなったんだからくれぐれも熟考の上のご判断を願います。

 ところで、会社所有のクルマの中で間もなく10年になろうかというクレスタがあるのですが、走行距離も20万キロに達するだけあって、最近やたらエンジンがストールするようになりました。一時停止のあとの発進時など特に。さらに上り勾配であればてき面。おかげで、左足でブレーキを踏みながら右足でアクセルもあおり続けるというテクニックを身に付けましたが、急にハンドルが重くなった瞬間の気分はいやなものですな。インジェクションの問題かバルブタイミングの問題か、近々オーバーホールの必要がありそうです。

2001年3月30日(金)

 VISAカードの請求が来て、見てみたら身に覚えのない利用記録が載っている。それは、マレーシアのクアラルンプールでカードを使って公衆電話をかけたという記録なのですが、利用日として表示されている日付の当日は、マレーシアにも行っていないし、公衆電話だって使った覚えもない。仮に当日KLにいたとしても、携帯電話を持っているのにわざわざ公衆電話を使うこともないわけです。それより、大前提として、私がマレーシアに行っていないのはパスポートが何よりの証拠になります。

 結局すぐにカード会社に電話して事情を説明し、その後、当日マレーシアにはいなかった旨のレターを送って、その料金は無効となりました。その上で当該カードを無効にして新しい番号のカードを発行してもらいました。

 ウワサには聞いていたのですが、カードを偽造する人にとってVISAは扱いやすいらしく、偽造のターゲットになる確率が高いということです。そのため、一部のホテルではVISAカードを受け付けないようにしているとか。それにしても、まさか自分がその被害に遭うとは。今回は数ドルの不正使用で済んで、実害といえばカード番号が変更になったことを、カード課金にしているインターネットプロバイダーに届けなくてはならない手間くらいなものなのでよかったようなものの、あらためてクレジットカードのリスクというものを実感しました。

 店で使用するのであれば必ず裏面のサインを確認しますが、公衆電話はサインレスですからね。でも、日本ではまだカードに関する認識が低いのか、裏面のサインすら確認しない店が多い(そのくせ電話番号を書かせる)ですから、偽造者にとっては使い放題ですな。

2001年3月25日(日)

 House Warming はなかなかたくさんの人達が集まって盛況でした。新しく完成したばかりのコンドミニアムで、MRT(電車)の駅にも近く高速道路の乗り口にも近い便利な場所。購入したのは97年、東南アジアの経済危機で資産価値が思いっきり下落していた時期だったので、今思えば非常に安い買い物だったとか。

 我々のように賃貸ではないので、自分の好みに壁や天井のデザインを仕上げられるわけですが、義妹がインテリアデザイナーをやっているとのことで、さすがに洒落た仕上がりになっていました。その義妹夫妻(つまり弟夫妻)は同じタワーの1階に住んでいて、従兄弟もタワーは違うけど同じコンドニミニアムに住んでいると言ってた。

 ところで、酒を結構飲むことになると思ったのでクルマではなくMRTで行ったのですが、このMRTでは日本と違う文化を具体的に体験できます。日本では電車に乗る人が、降りてくる人を待ってドアの両側に別れて待機するのが常識ですが、シンガポールでは乗る人も降りる人もドアの間口いっぱいに広がって待機しており、ぐちゃぐちゃな状態で乗降が行われます。

 これと似たパターンでは、歩道幅いっぱいに並んで歩いている人達は、反対側から人が来ても決して道を譲ろうとしません。最初は結構腹が立ちつつも脇に避けてましたが、今では構わず集団の真中に切り込んでいけるようになりました。

 道徳がなってないと思うこともできるのですが、そういう習慣で全員が納得して行動しているのですから、異邦人としてはそのやり方に従わざるを得ませんな。ただ、子供がいる時は日本に帰ってからのことを考えて、慎むようにしてますが。

2001年3月24日(土)

 この一週間は期越えの資金の工作などで昼間も忙しかったのですが、夜は夜で、月曜から金曜まで、娘の誕生日だった水曜日を除き連日の午前様。相手はユーザーさんだったりサプライヤーさんだったりで、必ずしも好きで遅くなっているわけではないのですが、まあ嫌いでもないのが辛いところ(^^; 

 そんな中、金曜日の夜は完全にプライベートの飲みだったのですが、必ず来いっていう連絡が入って行きつけのバーに行ったら、少し早めの誕生日をケーキで祝ってもらいました。もちろん他のお客さんもいてシャイな私は大変気恥ずかしかったのですが、それ以上にやはり嬉しいものでしたね。

 そんなわけで、休日は肝臓も休日、としたいところですが、シンガポール人の同僚が家を引っ越したっつーんで、夕方からホームパーティ(House Warmingと言うらしい)にお呼ばれしているので、もうちょっと肝臓には頑張ってもらいましょう。ははは。

2001年3月17日(土)

 今年に入って初めて床屋に行ってきました。もう何回も行っている床屋で、店のにいちゃんもたびたび切り直しをさせられるうち、だいぶ私の好みが分かったきていたところだったのですが、今日行ってみたら人が代わっていた。こりゃまた一から説明しなきゃかとブルーになったのです。なにせ、髪の毛の切り方に関する適当な英語を知らない。「ここは気持ち短めにして、全体はブワッって感じ」などとどう表現したものか困っちゃいます。

 ところが新しいにいちゃんったら、実に上手かった。私が言う前にポイントとなりそうなところを聞いてくれて、ほぼ思った通りにいけました。

 ちなみにこの店はカットで28ドル。2,000円くらい。まあ平均的な価格です。日本人経営の床屋がやはり日本人には一番人気のようですが、だいたい50ドル前後するらしいので、私は一度も行ったことがない。実際に切るのはシンガポール人だしね。

 こっちで初めて行った床屋はなんと8ドルでした。周りの人達からは私の勇気を称えられたものですが、さすが安いだけあって10分で終了。洗髪なし。最後にドライヤーを取り出したのでセットしてくれるのかと思ったら、衣服に付いてる髪のカスを吹き飛ばして終わった。そういう使い方もあるという大発見ではありました。

2001年3月16日(金)

最近の心配事:クウェート誤爆の米軍機にもやっぱり民間人が乗っていたのかな?

 プライスウォーターハウスクーパースへ、税率改正を中心とした新年度予算に関するセミナーに行ってきました。そこでわかったのですが、法人税率以外にももりだくさんの税制改正内容を含んだ予算だった。個人の所得税なんかも変わってるし、IT化を推進するための輸入ソフトウェアにかかる源泉税の減免や、ストックオプション奨励税制などが採り入れられている。

 日本でいえば厚生年金基金にあたる中央積立拠出金の雇用者拠出比率も変わった。これはASEAN経済がリセッションに入った2年位前に引き下げがあって、経済の再生とともに今回また引き上げられた。

 その時点での最も合理的な税制を維持するために、非常に弾力的且つ速やかな対応が採られています。国会でどのような審議を経て制定施行されているかはよくわかりませんが、わけのわからない汚職問題や指導者の進退問題で空転している日本の立法機関とは大違い。

 とは言いつつ、日本のお笑い番組の見られないここでは、なによりのお笑いネタです。今の政局。そういう意味では森首相の早期退陣には反対(^^; もっと楽しませて。

2001年3月11日(日)

ありそうでないもの:モチ入り缶おしるこ

 ところで、シンガポールでよく見るバイクについて。

☆オンロードスポーツタイプ

 Honda NSR125, Aprilia RS125, Honda CBR900, Suzuki GSX-R1100等、レーサーレプリカが圧倒的。あとはCB400をはじめとしたネイキッドモデルをよく見かけるが、Kawasaki車は非常に稀ですな。やはりWGPのイメージは強い。ネイキッドモデルの場合はリアシート後方にケースを装着しているのが特徴的且つ一般的。突然の雨が珍しくないこの国では、カッパの収納スペースは軽視できません。

☆オフロードスポーツタイプ

 Yamaha DT200WR, Honda XR250, KTMのEDモデル,Honda Transalp等、やはりレーサーレプリカまたはレーサーそのものが人気の中心。 その中でTransalpのようなレイドを意識したモデルも健闘しているってところです。KTMは現行車種でいうとEXCに当たるモデル。不思議なのはシンガポールにはコース、ロードともダートはないのに、どれをみてもちゃんとしたエンデューロタイヤを装着している。もったいない事この上ない。あるいは休日はマレーシアのジャングルで汗を流しているのしょうか?

☆その他のタイプ

 Hondaのカブのスポーツ風バージョン。これはシンガポールに限らずアジア全域で超人気車種。ベースは歴史的ベストセラーのスーパーカブですが、レッグシールドを含めてポップなカラーリングが施してあって、なんとなくスポーティな雰囲気が漂ってます。人気の理由はもちろん価格であって、エンスージアストが趣味で乗ってる可能性は限りなくゼロに近いという、大衆車の典型パターン。

2001年3月10日(土)

 2001年度のシンガポールの予算が発表され、法人税率が25.5%から24.5%に下げられることになりました。おー、よかったよかったと思いたいところですが、なんと税率25%以下の国は、日本においてはタックスヘイブン国とみなされるそうです。つまり、事と次第によっては日本の親会社の課税所得にタックスヘイブン国の子会社の所得が加算されることになる。もっとも、節税目的で設立された会社と違って、ちゃんと実態があって事業を営んでいるのだから大丈夫だとは思いますが。

 タックスヘイブンというと多くの金融機関の支店が置かれていることで有名なケイマンや、タンカーが事故に遭った時しか耳にしないリベリアくらいしか頭になくて、遠い世界の話のような気がしていたのに、実は世界にはかなりたくさんのタックスヘイブンがある。香港もそうだったんですね。そのうえシンガポールまでそれになるとは。。。まあ、いろいろと勉強になります。

2001年3月6日(火)

 朝から大雨が降って、さらにその後晴天になり一気に気温が上がるものだから蒸し暑いことこの上ない日でした。

 それにしてもインドネシアでは家族でちょっとメシを食べるとすぐ30万ルピアだ50万ルピアだといってしまって、その桁数にたまげるが、1ルピアは0.0123円なので、たとえ100万ルピアでも1万2千円である。そう考えると高級ホテル内のレストランで家族4人で食べて50万ルピアというのは悪い金額じゃない。

 今日は買い物しただけだったのですが、ホテルのすぐ隣の免税店エリアは、昨日までは夜しか行ったことがなかったのですが、昼間行ってみるとだいぶ様子が違った。夜は日本人客が9割なのだが昼間は白人客の方が気持ち多い感じがしました。このことから、白人も買い物はするのだが、わざわざホテルから離れたところへクルマで移動してまではしないこと、夜は買い物をせずに非若者はホテル内のバーで、若者は街なかにあるおねーちゃんナンパバーで騒いでいるという行動パターンが見えてきました。なんだかんだ言ってもナイトライフはやっぱり白人が強い。

  なにはともあれ、無事にシンガポールへ帰ってきました。今週あと3日間、仕事モードへ切り替えられるかどうか。。。

2001年3月5日(月)

 買い物をしたいっちゅーことで、クタにあるPlaza Baliまで出かけました。ここは行きのタクシー代持ちます、さらに帰りは無料シャトルバスで送りますという至れり尽せりの送迎サービスをやっている、日本人韓国人台湾人御用達の大型免税店で、DFSとはいつも張り合っている、というのはタクシー運転手の話でした。ブランド品から民芸品まであるのですが、ブランド品には興味ないので民芸品ばかり見たのですが、全部US$表示でしかも高い。小物2点4ドル分だけ買って帰った。

 プールサイドで日本人のおねーちゃんが手当を受けていた。原因は分かりませんが恐らく疲労で日射病の症状になりやすくなってたんじゃないかと。タクシー運転手も言っていたし私も思うのですが、とにかく日本人はリゾートでもあちこち買い物だ、観光だとアクティブに活動したがる。そこへいくと欧米人やオージーは日がな一日プールサイドやビーチで過ごす。日程の差か習慣の差か?

 日がな一日といえば、ビーチの凧売りのオヤジ。特に積極的に商売活動をするわけでもなく、砂浜に座ったり寝そべったりして一日中凧を揚げていつ来るとも知れない客が来るのを待っている。羨ましいような羨ましくないような。

2001年3月4日(日)

 妻が朝っぱらからひとりでスパへマッサージしてもらいに出かけてしまったので、私は子供二人とプールへ行ってました。午後からはウブドというアマンなどの超高級スペシャルリゾートホテルがある村へ行こうと話していたのですが、あまりのプールサイドの気持ちよさに、結局夕刻までプールで過ごしてしまった。

 子供用の浅いプールが見つからなかったので、大人と一緒の深いプールで最初遊んでいたのですが、池だと思っていたのが実は子供用のプールというか行水場だった。

 プールサイドで昼メシ食ってた時に隣のテーブルにいた家族が、オーストラリア人で1年前まで福岡にいらっしゃったと言う。今はどこにお住まいかと尋ねたら、バリのしかもこのホテルにいるとのこと。なるほど、確か福岡にもハイアットがありましたね。さらにその前はサイパン。しかし、リゾートホテルそのものに住み込むというのはどんな気持ちなんでしょう。やっぱり飽きてくるんでしょうかね。でもお子さん達は楽しそうでした。いずれにしても、いろんな人がいるものです。

 せっかくエキゾチック舞踏のバリに来たのだから、ひとつやふたつの舞踏を見ずには帰れないということで、お隣のシェラトン・ラグーナホテルのケチャダンスディナーへ行きました。大勢のケチャケチャと歌っている男達に囲まれて数種類のキャラが登場し、王女救出の劇を演じます。数十分間ずーっとケチャケチャ言いっ放しなので、さぞかし疲れるだろうと思います。どうりで毎日はやらないわけですな。

2001年3月3日(土)

 なんとか寝坊せずに済みました。飛行機の中は意外と日本人がいっぱいいてビックリ。シンガポール在住の方が連休を利用していく私のようなパターン以外に、日本からシンガポール経由でバリに入る方もかなりいるような感じでした。

 空港タクシーはチケット制が一般的でぼられる心配もない代りにメーター制の料金よりも高くなります。20分の乗車で35,000ルピア(約500円)。空港タクシーはどこの国でもグローバルスタンダード料金設定です。もちろん日本は問題外。それにしてもたまたま順番が回ってきたタクシーがノーエアコンで参った。シンガポールに比べて確実に暑い35度前後で多湿でノーエアコンの過酷な条件でも料金は一緒なのが、今後のインドネシア経済の発展の上で大きな問題にならなければいいのですが。

 ホテルはやたらと広い。高い建物が許されないヌサドゥア地域の都合上、4階程度の低層ホテルになるのでおのずと敷地は広くなるということです。ホテルのビーチはいかにもバリ!って感じでとってもきれいです。

 夕日を見にウルワトゥという岬の寺院に片道30分かけて行ってみたのですが、ちょうどスコールの後で夕日の部分にだけ雲が残っており、残念ながら満足な夕日が眺められませんでした。その後で行ったホテルのすぐ隣のガレリアというショップやレストランが集まったエリアでは、歩いていると日本語での呼び込みがひっきりなしに声をかけてきた。飛行機といい、ここでの現象といい、ハワイ、グアムに次ぐ日本人人気エリアとして、まだまだ弱年齢層に限定的ではあるもののバリがその地位を固めつつあることを感じました。

2001年3月2日(金)

 明日(3月3日)から3泊4日と短いですがバリに行ってきます。泊まるのはGrand Hyatt Bali。シンガポールからは2時間ちょっとで行けるので、同じ3泊4日でも日本から行くのとは時間の利用のしかたがだいぶ異なる。日本からだと前後2日はほとんど移動で終わりますから。

 今日は金曜日なので飲みに行っていたのですが、明朝8時に家を出るので12時には帰途についた。我ながら偉い。9時半のフライトなのですが、8時に家を出て余裕で間に合うあたりがシンガポールの大きな利点のひとつですな。

2001年3月1日(木)

 新しくオープンしたホテルのグランドオープニング祝賀パーティに行ってきました。屋外のプールサイドを会場にして行われたのですが、どでかい音の音響や派手に花火をぶっぱなしたりして、なかなかすごい演出でした。日本のホテルでも同じような感じでやってるんでしょうかね?

 パーティの中で怪しいインド人のマジシャンが出てきて、カードマジックとかをやったのだが、いかんせん遠くて手許が見えずすごいのかどうかわからなかった。しかも立食だったのでみんな手にグラスを持っているため拍手できず、なんともうら寂しいマジックでした。わたし的にはどうせマジックならマギー司郎に出てもらいたかった。

 料理はいろいろと用意されていたのですが、最初にシャンパンとビールをグイグイいって腹一杯になったため、ほとんど食えなかった。驚いたのはホテルの女性スタッフの方々で、いろんなコスチュームを着て接待していました。「空飛ぶキャバレー」の異名を取るシンガポール航空のスチュワーデス服や、インドのサリーやその他もろもろ、まるでカラオケラウンジと間違うばかりでビックリしたのですが、我々と同じ招待客の中に、ホンモノのカラオケラウンジのおねーちゃんがいて二度ビックリ。

 日銀が一ヶ月間で二度目の緊急利下げを行いましたね。アメリカやヨーロッパ利下げを示唆する発言が出ている中で、こないだのG7で注文をつけられた日銀は動かずにはいられなかったのでしょうが、たかが0.1%の利下げが経済に及ぼす影響は非常に限定的でしょう。それよりも市場の「サプライズ」を狙った、あるいは市場に対して我々はちゃんと動いているということをアピールする意味合いの方が強い気がする。もっとも、さらに下げたくてももはや下げる余地がないのが日本の辛いところ。