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2006年1月8日(日)

 いつのまにか9月に日本に本帰国して、ドタバタにかまけてすっかり更新をサボっていましたが、2006年を迎えてブログで再開します。こちらから飛んでください。

2005年5月30日(月)

 5月22日(日)は仏教系の祝日であるVesak Dayで、23日(月)が振替休日になったため、シンガポールは21日から3連休でした。このことに2週間くらい前になってようやく気付いたのですが、気付いた時には目ぼしいリゾートは既に予約がいっぱい。いつものパターンです。そんな中でもタナメラフェリーターミナルから1時間のお手軽リゾート、インドネシアのビンタン島はぎりぎり空きがあって、同じコンドに住む4家族で大挙して行ってきました。

 フェリーターミナルの駐車場は今まで見たこともないほどの満車状態で、未舗装の砂利駐車場に停めることに。日本ではイベント会場などでありがちな砂利駐車場も、シンガポールでは極めて珍しい経験です。

 出発してしばらくすると、船の窓に雨が当たり始め、ビンタン島到着時も雨は止んではいたもののどんよりとした曇り空。結局滞在した3日間のうち、全て雨に降られました。もちろん、一日中シトシト降るようなことはないのですが、午前中すごくいい天気で酷暑ながらもいい気分でいると、いきなりドザーッって感じで降ってきて1時間から2時間くらい止みません。2日目はビーチで遊んでいる時で、どうせ水着なので濡れるのは一向に構わないのですが、やたら寒くなりました。3日目はリアビンタンという美しいゴルフ場でプレーしている最中で、ただ屋根があるだけの東屋でボーッとしながら2時間近くに渡り延々と待ち、それでも頑張ってホールアウトした我々はなかなか偉いと思います。

 そんなゴルフレポートも最近開設した秘密のブログに掲載してますので、ヒマな方は探し当てて読んでください。

2005年5月6日(金)

 1ヵ月半ぶりのご無沙汰です。久々に更新と思ったらたまたまですがまたまたサッカーネタで恐縮です。

 昨日はアキの所属するバレスティアと、アキが昨年所属していたアルビレックスとの因縁の試合がありました。結果は1-0でバレスティアの勝利。しかも決勝点となった1点はアキのフリーキックによるもの。本当に彼の勝負強さには驚かされます。相変わらず勝てないアルビにはもっと驚きますけど。

 なんか、ここ3試合ほどアルビの観戦に行けなかった間に、雨上がりということを差し引いて考えても観客数はめっきり減っているし、大丈夫かなって感じです。これでシーズンのちょうど3分の1が終了です。まだまだ3分の1でもあり、もう3分の1でもあります。とにかく残りの3分の2はやってる方も見てる方もストレスのない試合をしてもらいたいですね。

2005年3月22日(火)

 またまた日曜日にアキがやってくれました。昨年2位、一昨年チャンピオンのホームユナイテッドとの一戦で、後半ロスタイムでの勝ち越しゴール。2点先制されてからの逆転で3-2での勝利。うーん、今年のアキは神がかっていますね。現在は堂々の得点ランキングトップタイ。なんでアルビを離れてしまったんでしょう、って感じです。

 私の飲み仲間でアキとも親しいSリーグファンのIさんとSさんが今月帰国されるのですが、アキが試合後にユニフォームを脱ぐとTシャツには”Iさん、Sさんありがとう”の文字が。本当に決めるところで決める男です。しかもIさん、単なるSリーグファンを超越して日本人きってのSリーグ通として知られ、相手チームのホームユナイテッド所属で去年3月のワールドカップ一次予選で日本からゴールを奪ったインドラおよびそのお母さんとも親しいというスゴイ人ですが、なんとハーフタイムに両チームからこれまでのサポートに対する感謝状贈呈が行われるハプニング。当の本人もビックリしていましたが、帰国前に最高のカードで最高の試合が見れて満足しておられました。お二人とも日本でも花粉症に負けずご活躍ください。

 で、肝心のアルビはシンガポールU-23代表のヤングライオンズと戦って、先制しておきながら1-3の完敗。1敗2分けで未だ白星なしですが、10チーム中7位と結果の割にまだ下がいます。離される前に勝ち点3が欲しいところですが、次節は昨年の覇者タンピネス、しかもアウェー。ゲーム後のビール飲みが残念会にならないことを祈ります。

2005年3月11日(金)

 昨年、アルビレックスSでプレーしていたアキこと中村彰宏くんが、今シーズンはバレスティアというチームに移籍してキャプテンとしてプレーしているのですが、昨日はそのバレスティアの第2節の試合がありました。彼とは何度か一緒に飲んだり、家のBBQにも来てくれたりしてお世話になっているので、移籍したとはいえやっぱり応援したくて、昨日の試合は見に行ってきました。

 さすが私が応援に行っただけあって、アキのプロ生活初のハットトリックを含む4得点で、先制され1失点したものの大差の勝利!嬉しかったですねー。アルビの試合でもないのに日本人が結構行ってて、アキの人気の高さというか人徳というかを実感しました。アルビとの対戦の時はどっち応援するか悩みどころです。

 試合後は「なんじゃもんじゃ」で本人に代わって祝勝会。またまた閉店で追い出されるまで飲んでいて、帰宅したのは2時半でした。まあ、普通(笑)

2005年3月6日(日)

 今週もまたゴルフのない週末です。実は先週の土曜日ダブルヘッダーだったので、そのツケのような気もします。

 朝からサッカースクール、ハウルの動く城鑑賞、帰宅してJ1の横浜×磐田観戦、夕方は親子サッカー練習(二人だけ)と、平日以上にやることいっぱいの土曜日でした。

 あまりに多忙だったため、映画を見ている途中、居眠りこそしなかったとは思うのですが、記憶が途切れている部分が非常に多くて、全然印象に残らない映画でした。映画が悪いのか自分が悪いのかわからなかったので妻に聞こうと思ったら、こっちが聞く前に、寝てて途中からわからなかったけどどんなだった?と聞かれてしまいました。ダメ映画なのかダメ夫婦なのかいまだ不明です。

2005年3月3日(木)

 今週はシンガポールのプロサッカーリグであるSリーグの開幕週で、昨日は日本人チームのアルビレックス新潟S対中国人チームのシンチという、外国チーム同士のカードがありました。会社の関係でチームや選手とも少しばかりの縁がある私もスタジアムに足を運んで観戦しました。

 相手チームは昨シーズンビリから2番目で決して強いチームではなかったのですが、今年は戦力をほとんど総入れ替えしているらしいのでまるで未知数です。経過はViva! S-Leagueというサイトに詳しいので省きますが、結果は0-0のドロー。まあ、勝ち点1でも取れただけいいですけど、アルビは昨シーズンもドロー試合がずば抜けて多かっただけに、今年もその二の舞にならないよう次節はきっちり勝って欲しいものです。

 なお、消費したビールは試合前3本、ハーフタイム2本の5本でした。試合中に飲みに行かなかったのは偉い。ちなみにシンガポールのスタジアムはスタンドでの飲酒禁止なので、飲むには一度スタンドから出なくてはいけないんです。試合の後はお取引様やただの知り合い等総勢13名で居酒屋新宿で反省会。閉店で追い出される1時までたっぷり反省しました。

2005年2月27日(日)

 昨年の中越地震の被害が甚大だったため、私の給与は4分の3になっちゃっています。まあ、一応業績が回復するまで、という無期限みたいな期限付きですが、現実的に一度減った給与が元に戻ると信じるほど私も世間知らずではありません。しかしそのおかげで、私のような社員でもこうして解雇されずに働かせてもらってるのですから止むを得ません。

 そんなわけで、家計もその分緊縮財政策を採らなくてはならなくなっています。飲みに出る時、以前はタクシーを使ってシティまで行っていたのですが、最近はバスとMRTです。しかしこれは普通の人が普通に使っている交通機関ですので、慣れると普通です。今までが贅沢だったってことです。

 次に、原則日本食の外食禁止。とにかく日本食は高いです。でも、今日の昼は嫁がいないのをいいことに子供と3人でラーメン食べに行っちゃいました。いきなり挫けてます。

 それから、クラブメンバー以外とのゴルフをきっぱり断る。メンバーとなら勝った負けたは別にして、1ラウンド20ドルポッキリなので全然余裕です。しかしこれも、昨日思わず当日昼になってからの誘いにまんまと乗ってラウンドしちゃって、もはや掛け声倒れの様相を呈してきています。

 さらに、NHKを見るために加入していたケーブルテレビは解約しました。ニュースはインターネットで十分です。テレビ小説は見れませんが、日経連載小説「愛の流刑地」は毎日欠かさず読めますので全然問題ありません。

 ダメ押しとして、外食に出かける前は家でビールを引っかけて行くキャンペーン実施中です。こうすれば理論的には、家で飲んできた分だけ外で飲むビールが減るはずですが、どうもそうそう思い通りには行かず、外でも従来どおり飲んで、結局家で飲んだ分だけ今までより余計に飲んでしまうという、皆さんの期待通りの結果になっています。

 ってゆーか酒を減らせよ、との声も聞こえてきますが、そんな不健康なことして体を壊しては元も子もありませんから。残念!

2005年2月21日(月)

 昨日は昼からローカルスタッフの家の新年会に呼ばれて行ってきました。今頃新年会?と思うかもしれませんが、中国系の人にとってはまさに正月が明けたばかり。職場の仲間や親戚その他友人知人が集まり、挨拶もハッピーニューイヤーでOKです。

 自分の飲み分としてビール3本とワイン1本を持参したのですが、シンガポール人は昼からあんまり酒を飲まない中で日本人は私一人だったので、飲みっぷりも参会者の中で群を抜き、余裕で持参した飲み分以上を飲んでしまい、普段飲み屋でやるのと同様に、一番帰りが遅いグループにしっかり入っていました。我ながら時と場所を選ばずよう飲みます。

 夕方に帰宅して、明るいうちから酔い潰れて寝て、夕飯時に起きるあたりは、まさに日本で結婚式に出席した後の気分でした。最大の違いは手持ちがビールとワインだけだった分、お土産もミカン2個だったってことでしょうか。

2005年2月17日(木)

 セブへ行ったときに、小学3年の娘とホテルのプールで約20mくらいのクロール競争をしたら、危うく負けるところでビックリでした。しかも2回やって2回とも。私は決して水泳が苦手なほうではなくて、むしろ得意とも言え、中学校の頃は近隣町村合同の水泳大会にジャンケンで負けて出場したりしたものです。結果はジャンケンなみでしたが。

 娘は毎週水泳教室に通っていて、親が言うのもなんですが、割と上手いとは聞いていましたが、これほど速いとは思いませんでした。ってゆーか、私がこれほど遅いとは思いませんでした。海でも水深5m以上もあるような沖合いで平気でシュノーケリングを楽しんでるし、わずか週一回のレッスンとは言え侮れないです。将来はオリンピックにでも出てガッポガッポと稼いでもらいたいところですが、さすがに本気でそんなこと考えるほど親バカではないです。いずれにしても、私より速く泳げるようになるのも1年以内のことでしょう。

 私も週一回と言わず週三回以上は肝臓の鍛錬に通っていますので、飲みっぷりならまだまだ娘に負ける気はしません。いつでもかかってきて欲しいものです。

2005年2月13日(日)

 旧正月の連休もあっという間に終わりました。中国人は、これでまたひとつ歳をとったと言います。日本で言う数え年と同じ概念ですね。

 セブへはホテル滞在中でもジョギングができるように、さらにいざと言うときにはゴルフもできるような用意をして、凄い意気込みで乗り込んだのですが、結局水遊びばっかりやっていて陸上で体を動かすことはほとんどできず。1kgほど太って帰ってきました。ま、1kgくらいならすぐ戻せるからいいや、なーんて思っているとそのまま増え続けて生活習慣病の元になりますので、油断大敵です。

 それにしても、泊まったホテルは家族連れに優しいとの評判どおり、家族連ればっかり。日本人も多かったですが、韓国人の多さにもビックリでした。白人も含め、ほとんどの人達は中国や香港から来た人達のようでした。しかも多くの人がプーケットの予定を変更してセブに来ていたようで。皆さん考えることは一緒です。

 肝心のダイビングは生憎の曇り空で、しかも水温が低く、さらに視界も良くないという悪条件の中、大物にめぐり会うこともできず2本潜ったという事実だけが残ったような印象でした。一緒に潜った人の中に、日頃の行いの悪い人がいたのかもしれません。決して私じゃありません。

2005年2月8日(火)

 今日から会社が中国正月の休みに入りました。日本では先日の年末年始休暇は例年より少なかったようですが、今年の中国正月は2月の9日、10日の水、木に当たる関係で、そこそこの連休になりました。

 で、週末の走りこみの成果を試すべくゴルフに行ったのですが、さすが走りこんだだけあっていくら走っても息があがらず、存分にラフ(たまにフェアウェイ)をランニングすることができました、って全然本来の目的と違っているような・・・。これほど走るゴルフをするだけあって、スコアのほうは週末書いたとおり110をギリギリ切るレベル。でも決して不満ではないという気持ちがスコアアップを阻止している要因かもしれません。

 明日からセブ島に行ってきます。本来の予定ではプーケットだったんですが、津波で行き先を変えました。いろんなダイバーの意見をウェブで見ると、どっちも一長一短といったところですが、今回は海中で撮影する用意ができているのでたくさんセブの海の中のおさかなさんの写真を撮ってきたいと思います。

2005年2月6日(日)

 今日はシンガポールのプロサッカーリーグでプレイする選手数名とBBQでした。昨年来、BBQする時は声をかけますね、と言っていたのがようやく実現したのですが、始まってしまうとサッカーの話はほとんどなくて、結局いつもの飲み会と同じノリになって、11時の消灯でセキュリティの人に追い出されるまで騒いでいました。選手たちには遅くまで酔っ払いオヤジに付き合ってもらい、感謝です。

 身体作りをするをすると宣言した週末でしたが、走りこみはしたものの筋トレはできず。ちょっと心残りだなーと思っていたところ、BBQの火起こしでうちわを持った右腕を激しく使ってしまい、ちょっと痛いです。思わずいい筋トレになりました。でもこんな筋肉、ゴルフじゃ使わないよなー。

2005年2月5日(土)

 珍しくゴルフのない土曜日です。ラウンド数だけ増えてもスコアが一向に向上しない症候群を断ち切るべく、中休みを設けたというわけではなくて、いつも参加しているセントーサ会が人数が足りなくてキャンセルになったのと、別のメンバーで構成されるポーレシア会の方は、この週末から旧正月休暇の会社が多いことから、マレーシアへ渡るコーズウェイが混雑すると思われるのでやっぱりキャンセルになり、やりたくてもやれないというのが本当のところです。

 一時は100を切っていい調子でやっていたのに、最近は110を切れればまあいいかな、みたいな感じで後退ぎみ。そういえば、大晦日の打ち納めは、除夜の鐘に合わせて煩悩の数だけ叩きましたし、年明けには思いっきり120のK点超えも達成しました。別にアスリート系ゴルファーでもないので、ダラダラと楽しくできればいいんですよ、と強がりつつ、やっぱり思うようにできないのは悔しい。今週末は走りこみ&筋トレでもして体を作って、次回はベストスコア更新か!?

2005年2月3日(木)

 あっという間にもう2月ですね。なんかここ数ヶ月、サイトの更新が1ヶ月に1回くらいの頻度に落ち込んでしまっていて、これじゃいかんと反省してます。

 昨日は帰国する人の見送りで空港に行ってきたのですが、結構長くいるので今まで何人見送ったかわからないくらいで、いつも見送る方ってのは一抹の寂寥感を味わうものです。でも、今のところシンガポールに永住する予定ではないので、いずれ日本に帰ったらまた再会する機会はいくらでもあるんですけどね。実際、今まで帰国した人の多くは日本でまた会ったりしています。もっとも、仕事上でなんらかのかかわりがあるケースがほとんどなので、日本での再会もまた必然と言えばそうですが。

 日本では見送りと言えば、その舞台はやっぱり駅になると思いますが、こっちでは駅は地下鉄の駅しかないので、見送りは100%空港です。で、空港にはいろんな飲食店がありますので、見送り前後はガブガブとビールなんか飲んじゃったりして。昨日もその流れで市内に戻って飲み続け、しかもカラオケまで行って帰宅したら3時でした。幸い家族は泥のように眠っていたので、帰宅時間を聞かれたら1時前には帰ったと申告する所存です。本当は12時前と言いたいところなのですが、実はその時間にはまだ起きていて虚偽の申告がバレるということが経験則で得られてますから。

2005年1月14日(金)

 先月末のスマトラ沖地震と津波には本当に驚きました。また、私が被災地に行っているんじゃないかとか、シンガポールも被災したんじゃないかと、大勢の方から安否確認の連絡を頂戴しましたが、この通り(って見えませんけど)全く元気です。ありがとうございました。

 当日のその時刻は私は家で寝ていました。いつまで寝てるんだって叩き起こされそうな頃に、プーケットに行っている友人からTELがあって初めて地震と津波があったことを知りました。でもその時はこれほど甚大な被害とは夢にも思わず、また寝てしまい、翌日になって大いにビックリした次第です。

 モルディブは昨年行っているし、プーケットもこの旧正月に行く予定だったので、本当に他人事ではありません。それ以上に、娘のクラスメイトとそのご家族が行方不明になっているなど、かなり身近にそういうことを聞き、心が痛みます。

 全く最近の地球の気象はどうなっているんだという感じですが、一日も早い被災地の復興を願って止みません。

2004年12月5日(日)

 今年もあっという間に師走を迎えてしまいました。30歳を過ぎると時間が経つのが速いと思ったものでしたが、35歳を過ぎた今、その3倍くらいの速さで過ぎているような気がします。

 日本のテレビ放送を海外でも見れる、という謳い文句の会社がいくつかあって、先日そのうちのある会社が著作権法違反かなんかでテレビ局に提訴され、負けていたという報道があったようですが、なにを隠そう、私もその手の会社を利用して日本のテレビ番組を楽しんでいます。私が加入している会社の説明によると、先日やられちゃった会社とは基本的に方式が異なるようで、なんだか自信満々のようですが、実際訴えられたらどうなるかわかったものではありません。

 それ以前に、テレビ局の度量の狭さに憤りを感じます。日本に住んでいる人はタダで見れるのに、訳あって海外に住まざるを得なくなった人が視聴率の足しにもならないくせにウチの番組をタダで見るのはまかりならん、ということを言っているわけです。法的にどうか知ったことではないですが、このドケチ!って感じです。

 まあ、そういう問題は少なくとも私の個人的な影響は今のところないので、大変身勝手で申し訳ないのですが、日本の番組を堪能しています。ホントに面白いですね。ちなみに最近毎週欠かさず見ているのは「あいのり」、「ふしぎ発見」、「ウルルン滞在記」ってとこでしょうか。妻はドラマ系、子供達はアニメを堪能しています。当分は私の加入している会社によくわからない法律の類が及ばないことを祈るばかりです。

2004年11月1日(月)

 先週の新潟県中越地震は地元で発生したということを差し引いても、相当に大変な地震だったと思わせるものでした。私の家は幸いにも地震発生直後から電話も通じて連絡も取れて無事が確認され、家屋や家財の被害も特になく、インフラも初期の停電以外は特に問題なかったということでしたので、まあ、大きそうな地震だった割には意外と被害はないのかな、と軽く考えていましたが、一夜明け、そして日が経つにつれて被害の甚大さに驚きました。

 小千谷や川口には多くの友人や知人が住んでます。その中の誰が避難暮らしで誰が自宅で生活できているかをいちいち確認していませんが、避難している人数から推察して、多くの友人知人家族が避難所で生活しているのでしょう。

 車を運転中に土砂崩れで埋められた母子も直接知り合いではないのですが実家の近所の方でした。非常に心が痛みますが、子供一人が奇跡的に助かったことは多くの人に希望を与えたのじゃないかと思います。

 そんな中で、実家のある小出町が、今日から合併により魚沼市になります。非常事態の中で現町村長も引き続きそれぞれの町村の陣頭指揮にあたり、その他の体制も実質的に現行の7町村体制を維持しての異例のスタートとなるようで、非常に大変な船出だとは思いますが、より充実した市民サービスが提供されることを期待します。

 おっと、今日は長男の誕生日でした。

2004年8月15日(日)

 日本は今日は終戦記念日ですね。甲子園でも12時になると黙祷をしています。私も日本人の一人として厳粛に黙祷を始めたところ、そのまま2時間ほど黙祷を続けてしまったようです。今年はたまたま日曜日でしたが、平日に会社でこんな長い黙祷をやっていたら、今どき珍しい、たいそう立派な青年だと、大いに感心されることでしょう。あ、でも日本の多くの会社では平日だとしてもお盆休みなんでしたね。

 夏休みはないので、特に旅行には行かないのですが、それでも子供は夏休みでヒマそうなので、週末利用の豪華客船クルーズに行ってきました。金曜の夜出発して、日曜の昼帰ってくるクルーズです。そんなときに限ってややこしい会議が入るもので、金曜日はギリギリで乗船をすると、息をつく間もなく、一緒に参加した他の2家族と宴会に突入して、そのままレストランが営業終了し、そろそろ帰ってくれと言われるまで飲み続けるあたりは地上にいるのと全く変わりません。おかげで1晩目は船内にある豪華カジノにも行けず早々に寝付いてしまいました。しかし、この晩の無念は次の夜に気分よく晴らされるはずで、相当意気込んでカジノに乗り込んだのですが、夜中の2時過ぎにがっくり肩を落としてカジノから出てきた私を目撃した人もいるかもしれません。

 このクルーズはどこにも寄港しないで海上をひたすら彷徨っているので、2泊を丸々船で過ごすことになりますが、さすがに豪華客船だけあって、カジノは上記の通り、その他プール×2やカラオケ、ジム、劇場、ゲーセン、多数のレストラン&バーなどそこいらの田舎町よりよっぽど施設が揃っています。TVもインターネット経由らしいですがライブで見れて、ちょうど2晩目はアジアカップの決勝をやっていて、用意のいい私は日本代表ユニフォームを着用し、中国大陸の人が周りにいないことを祈りつつ、バーで大いに盛り上がっていました。揺れはどうなんだ、という不安の声もありそうですが、タイタニックを遥かに凌ぐ世界最大級の大きさだけあって、きっと氷山がぶつかったって揺れないだろうと思うほど、全く揺れを感じませんでした。ひょっとしたら私の三半規管が狂っているのかもしれませんが、地上にいるのと一緒です。

 しかし、こうやって文章にしてみると、地上でやっていることとホントに大して違いがない感じがしてきて、なんでわざわざ同じことをするのに少なくないカネ払って船に乗らなきゃいけないのか、という110%正論が聞こえてきますが、まあ、それでも豪華客船でクルーズなんて今後一生できるもんじゃないでしょうから、「クルーズした」という事実が大事なんだと自分に言い聞かせる努力が今後必要になりそうです。

2004年5月23日(日)

 プライベートでミャンマーに行ってきました。いろんな人から安全で人も親切でいい所だって聞いていましたので、ずっと行ってみたいと思っていました。ミャンマーというと、軍事政権とアウンサンスーチー氏くらいしかあまり思い浮かびませんが、逆に言えば大きな事件のない証拠とも言えるでしょう。体制としての軍事政権の是非はともかく、それによって特に混乱もなく安定が保たれていることは確かなようです。

 今回は首都ヤンゴンと仏教遺跡のバガンを訪れました。その印象はとにかく暑い。今は雨季入り前の酷暑期ということで一年のうちで最も暑い季節。天気予報などを見ると35度くらいしかいっていないことになっていますが、体感的には40度には届いているんじゃないかと思えました。仏教遺跡や現役寺院は基本的に石でできていて、見学するときは例外なく裸足になって入らなくてはなりません。外側は灼熱の太陽に照らされてまさに焼け石状態になっているので見学も命懸けです。石焼ビビンバの気持ちがちょっとだけわかった気がします。

 そんなわけなので観光は通常、一日のうちで最も暑い昼から3時過ぎまで休みになります。この時間に観光に行くと遺跡を独占できるうえ、土産物売りやガイド風情もくたばっていて寄って来ないので非常に動きやすいと言えます。もちろん熱射病や日射病の危険と引き換えになりますが。

 何年か前の話だとまだ観光ズレしていなくて、みんな純朴で夢のような国みたいな意見も聞きましたが、さすがに21世紀ともなるとしつこい輩が多くいました。これがまた少年少女なのでやりにくい。もちろん物乞いの類ではなくて土産物売りやガイドなのですが、頼んでもいないのに勝手にガイドをはじめてそのまま土産売場に連れて行って執拗に購入を迫る、またはガイド料を迫るというやり方ですので、強い意志を持って臨まないと小銭がみるみる消えていくことになります。

 詳しい話はTravelのコーナーにアップしていきます。

2004年4月25日(日)

 先日晴れてダイビングの免許を取りました。プールで2回練習した後、2日間ティオマンへ行って免許皆伝。なかなか中性浮力を保つのがヘタクソで、プールの3mちょっとの深さではやたらと水面と水底を行ったり来たりしていたのですが、海に行ってみると全体が深いおかげであまり浮き沈みを感じませんでした。本当に中性浮力をキープしているのか、スケールが大きくて多少の浮き沈みを感じないだけなのかは不明です。

 潜行のときなかなか沈んでいかなかったり、沈みすぎて密かに珊瑚を蹴っ飛ばしたり、浮上時の安全停止でそのまま浮いていきそうになったりと、まあいろいろ課題はありますが楽しく潜れればOKでしょう。

 この季節のティオマンはほぼベストシーズンで、波もなく透明度も結構高く、初めて潜る場所としては言うことなしでした。いろんな魚がいるものですねえ。次回はカメラを持って生きたいと思います。

 それにしてもティオマンは困った島です。去年の夏から島全体が免税なんです。このため、シンガポールでは高くてちょっと遠慮しがちなアルコールが安くて飲みすぎちゃんですね。潜りに行ってるんだか飲みに行ってるんだかわからなくなりそうです。いやあ、いい島だ。

2004年3月14日(日)

 ワールドカップ予選の日本×シンガポールのチケットが11日に発売されました。会場が6千人しか入らない小さいスタジアムだということでチケット争いがかなり厳しくなることは明らかであり、初めて徹夜で並ぶ人になりました。テレビなんかでそんな光景を見ていると、なんでそこまでするかね〜、といつも思ったのですが、実際並んでみてもやっぱりそう思いました。じゃあなんで並んだかと言われると、勢いで、としか答えようがありません。まあ、ちょっと理論的に言うと、チケットの販売方法は窓口とネットと電話があるのですが、電話は今までの経験でつながる運は持っていないし、ネットはチケット販売を行うSISTICがこれほどの狭き門の大イベントを扱った経験がほとんどないであろうことから、ウェブサーバーが落ちるかな、という不安が大きかったため、消去法的に窓口、しかも並ぶ、という結論になったのです。

 私が並んだパシリスのチケット売場はシンガポールの東のはずれで日本人はそれほど住んでいない地域でもあり、実際、そんなとこでも売ってんの?って人も多くて、これは狙い目だなと密かにほくそえんでいたのでした。10時まで仕事をした後、軽く食事をして、というかビールを4本くらい飲んで現場に行ったのが午前2時。すでに12名ほどが並んでいました。まあ、それでも13番目です。常識的に考えれば買えないわけがない。

 ところが発売時間1分前になって、いよいよ徹夜の苦労が報われるというその時。『コンピュータ、ダウン』という地獄の使者からのお告げのような情報が伝わってきた。常識的に買えないはずがないという頭に微妙な不安がよぎります。まあ、ホストコンピュータが落ちているのであればみんなが買えないわけだから大勢に影響はないかと高をくくっていたら、他の売場から『買えてる!』という連絡なんかが入ってき始めました。それからは、窓口に説明を求めて抗議する人、電話かけまくる人、ノートPCでネット購入を試みる人で大騒ぎでしたが、それでも列を乱さないのは並んでいるのがほとんど日本人だからでしょうか。さすがです。

 そうこうするうちシステムが、というか端末が復旧したようで、発売時刻の5分過ぎには購入がスタートしました。ところが一人が買い終わるまでに想像を絶するほど時間がかかってます。またしても不安と苛立ちが募る後続の人々。信じられないことに2人が購入した時点で『グランドスタンド売り切れ!』。絶句。いやまだ普通席があると言い聞かせるも、列は全然進みません。そのうち、朝になってから並んだのにもう買えた、という他の売場からの情報が入ってくると、皆さんの顔は泣きそうになってきます。この売場が穴場だと思っていたら、穴は穴でも落とし穴だった。しかも特大の。30分過ぎ、電話をかけまくっていた一人の回線がやっとつながり、狂喜するのもつかの間、返ってきた言葉は『Sold out』。ネットでも売り切れのメッセージが出始めたと言う情報もあり、いよいよあきらめムード濃厚になった直後、売場からも正式に売り切れが宣告されたのでした。

 結局買えた人は10人。常識的な考えはSISTICのお粗末なシステムと対応の前に見事に玉砕されました。まあ、後日チケットは手に入ったんですけど・・・。

2004年2月28日(土)

 今、シンガポール在住日本人の間ではサッカーの話題がホットです。ひとつは今期から日本でJ1を戦うアルビレックス新潟の子チームであるアルビレックス新潟Sがシンガポールリーグ(Sリーグ)に参戦することです。なんとこのアルビSのメインスポンサーにはうちの会社がなってしまいました。先日は記者会見があって私も参加してきましたが、もちろん私が記者さんたちの前で何か喋るわけではなく、ただ野次馬として写真なんか撮っていただけですが。まあ、実際は記者会見の後で振舞われたタダ酒に釣られたと言った方が正しいでしょう。

 さらにその後、ウッドランドというチームとプレシーズンマッチがあったのですが、ゲームが始まってもスポンサー組はすでに宴会モードがトップギアに突入しており、チームの人に何度も呼びに来られて泣く泣くスタジアムに場所を移したのでした。このことからもわかるように、シンガポールではスタジアムでビールが飲めません。これは悲しい。ゲームそのものは1−0で勝って、僅かしか入っていない観客のそのまた半分以下しかいない日本人の大歓声を聴けてよかったのですが、シーズンを通して考えた場合、観戦中にビールが飲めないことが非常に気がかりです。

 もうひとつのサッカーネタとしては3月31日に行われるワールドカップ予選の日本×シンガポール。いろんな人からチケットの問い合わせを頂きますが、実はまだ正式にチケットのことだけでなく会場さえも発表されていません。まあ、当然5万人収容のナショナルスタジアムだと思っていて、どんなに日本人が大挙して来星してもチケットが取れなくて大変だ、という状態にはなりっこないと高をくくっていたら、どうやら6千人しか入らないスタジアムになったらしいというかなり信頼できる情報が入ってきました。なんでもナショナルスタジアムではラグビーの大きな試合が控えていて、そのため芝を休ませなきゃいけないとかいう、シンガポールサッカー協会の力の程が知れる理由らしいです。そんなわけで、いきなりチケットの争奪戦が激化しそうな予感です。

2004年2月8日(日)

 午前中にゴルフしてから家に帰って昼寝をした後ジョギングに出かけたところ、交差点で信号待ちをしているとなかなか迫力のある排気音を轟かせたシビックがやってきました。派手なボディーカラーだなー、と思って近づいた時によく見たらボディサイドに大きな字で「道をあけろ」と日本語で書いてありました。クルマの前部に書いてあるならともかく、横に書いてあっても誰も道を空けないと思いますけど。ってゆーか、運転している人もその意味をわかっていないと思います。ドライバーは若いおねーちゃんでした。

 しかも勢いのいいのは排気音だけで、信号が青になって発進する時は、クラッチのつなぎ方がヘタクソで、後ろの小型トラックにあおられてましたっけ。恐るべし日本語の浸透度です。

2004年1月18日(日)

 シンガポールに住んでいるくせに先日シンガポールのとあるホテルに泊まってきました。某航空会社のマイレージのうち約一万マイルが去年の年末で有効期限を迎えるためとりあえず何かに交換する必要があり、手っ取り早い宿泊特典に交換したわけです。ある筋の口利きで29階などというとてつもなく標高の高い部屋に泊めさせてもらい、ベランダに出て恐る恐る外を見るとものすごくいい眺めに驚愕し、その一方、こんな空気の薄そうなところで寝て高山病にならないのだろうかとの不安も頭をよぎったりします。

 結局そんな不安も杞憂に終わり、チェックアウト時間ギリギリまで部屋でうだうだしてチェックアウトカウンターに行くと待ち受けていたのは日本人っぽい顔立ちのシンガポール美人。しょぼい英語でチェックアウトする旨伝えると、流暢な英語でカードキーを下さいな、と返ってきます。チェックアウト時のごく一般的なやり取りをしている中で、うちの子供がやってきて日本語で何か叫ぶので当然私も日本語で叫び返したりしていると、シンガポール美人は会計明細をカウンターに置き、「それではこちらの金額でよろしければご署名を頂けますか?」と英語より流暢な日本語で語りかけるのでした。よくよく名札を見るとそこに書いてあるのは紛れもない日本人の名前。彼女が英語で対応していたのは私の英語が達者だったからとは到底思えず、つまり、それほど最近の私の容姿が日本人離れしてきたのだという客観的な意見を目の当たりにしたショックで、思わず「サンキュー」と言ってその場を立ち去ったのでした。

2004年1月2日(金)

 明けましておめでとうございます。

 今日が仕事始めでした。とは言っても日本が休みでメールも電話もなく平和なものです。街なかもまるっきり正月気分なんかなくて、完全に普通の金曜日です。シンガポールで正月気分を味わうのはもう3週間ほど後になります。もっとも今年もその頃は旅行に行くのでシンガポールにはいませんが。

 大晦日はずっと楽しみにしていた紅白はビデオにとっておいて、同じコンドミニアムに住む会社の人達と年越宴会をしていました。まあ、1年前と同じですね。今年は去年と違い、紅白の録画には成功しました。こっちにいるとマジで紅白が楽しみです。今回のは近年になく内容の濃い充実した紅白だったと思うのですが、今日発表された視聴率はまたまた最低でした。日本にいると、いろんな年越しの楽しみがあるんでしょうね。

 で、宴会の方は紅白とは逆に、去年より記録を伸ばして朝の4時半まで続きました。おかげで元日は寝正月。まさにこれぞ正しいニッポンの正月ですな。

2003年12月31日(水)

 ミレニアムだなんだと騒いでいたのがつい昨夜のことのような気がしますが、あれからもう丸4年が経とうとしています。35歳を過ぎて時の経過の速度が飛躍的に上昇していると感じるのは私だけではないでしょう。この分だとあっという間に70歳です。生きていれば。

 西暦正月は通常元旦しか休まないシンガポールですが、私の勤め先は社長が優しくて大晦日も休みになりました。かと言って、特別することもないので結局ゴルフに行くことになります。打ち納めってヤツですね。誰しも考えることが同じなのでしょうか、ゴルフ場に行くと大晦日にもかかわらず大盛況でした。スコアとしてはシンガポールのゴルフ場自己ベストタイで締めくくることができ、正月3日の打ち初めに繋がる、なかなかいい打ち納めだったと思います。

 では恒例の、と言うほどやってるわけじゃないですが、2003年の出来事個人的ベスト5の発表。

1位 PC購入・・・こんなのが1位かよ、って怒られそうなショボイ1位ですな。

1位 クラビ旅行・・・きれいな海、きれいな空、これできれいなねーちゃんが一緒なら文句なしの単独1位。

3位 ゴルフのスコアがゴルフらしくなる・・・え、ボーリング?ってスコアから最近の円ドルレートみたいなスコアにアップ。

4位 本家のじいさん逝去・・・たまたま納骨の日に帰国し、納骨の後総選挙速報見ながら宴会。

5位 ティオマン旅行・・・シンガポールからたったの40分とは思えないド田舎のリゾートでカヌーで日焼けしてボロボロ。

 ということで、来年もよろしくお願いします。

2003年12月21日(日)

 先週は月曜・火曜と東京に行っていましたが、さすがに日本に行くと師走だなと思う。やはり寒さと日没の早さが季節感を大いに感じさせてくれます。忘年会というわけでもないですが、月曜は3時まで、火曜は2時まで飲んでいて、シンガポールに帰ってからも木曜は1時半、金曜も1時半となかなか肝臓には頑張ってもらった1週間でした。

 日本へ行く飛行機の中で、私の席は35Dだったのですが、隣の35Eのインド人が乗務員を呼んで、『私の妻と子供が前の席にいる。妻の隣は夫婦でそのどちらかと私が交替するわけにはいかない。このジェントルマン(私のこと)と妻と替わってもらうよう頼んでもらえないか。』と言い始めました。私は英語の解せない日本人を装い本を読みながらじっと聞き耳を立てていたところ、乗務員は『今日は満席ですし、こちらのお客様もこの席を好んで取られている場合もあります。』と私にとって好都合の答えをしてくれていました。事実私はだいたいいつも同じような列の通路側の席を選びます。ところが乗務員はそれに続けて『お客様からご自分でお願いして頂くしかありません。』と含みを持たせた言葉を残して去って行きました。インド人は早速私に聞いてきました。聞けば向こうも最前列ではあるが通路側とのことで、まあ、それなら固辞するほどのこともないなと思い交替したわけですが、荷物はそのままにしてきたため最後に飛行機から降りるときは降機待ちの乗客でごった返す中を隣の通路まで移動し、さらに35Dの席まで行って荷物を出さなくてはならない大仕事をこなす羽目になりました。

 帰りの飛行機をインターネットからチェックインする際、往路の雪辱も含め、今度こそ35Dに座ってやる(そこまで35Dに拘る理由もないですが)と、気合を入れて35Dを指定しました。乗ってみると満席ではなく35E、35Fと4列席の中2席が空席でこりゃ良かった状態だったのですが、本を読もうとして読書灯ボタンを押しても点かず、モニターも動かず、どうやらコントローラーが壊れていることを発見。すかさず隣の空席の35Eに移りました。しばらくすると通路を挟んだ席からシンガポール人女性が35Dに移ってきてどっかと腰を下ろしました。隣にいた中東系の男達がうるさかったせいかもしれません。それにしてもその人の尻の下には私の本やら新聞やらを置いたままだったのでとりあえずそれを救出しました。見るとその人はヘッドフォンを持ってきています。つまり映画等を楽しもうとしているのですが、私の経験によるとその席のシステムは壊れていて使えないはず、と思っていたらその人の操作により映画は映るし読書灯まで点いてしまった。いまいち釈然としない思いで、せめてもの腹いせにビールをたくさん飲んでトイレに行く度に何度もその人を跨ぎ越したりしつつ、次回は絶対35Dなんて選ぶもんか、と心に誓う空の旅でありました。

2003年11月25日(火)

 今日はハリラヤ・プアサといってイスラム教のラマダン(断食)明け、つまり正月にあたり、シンガポールは休日でした。中には全然イスラム教徒じゃないのに、正月だから休まなくちゃ、って感じで4連休にしていた人も大勢いたようです。私はもちろん、真面目にカレンダー通り月曜日は出勤していたことは言うまでもありません。月曜日にうっかり打合せの予定を入れてしまったのが敗因でした。

 さて、今日みたいにシンガポールが休みで日本が働いている時、昔だと会社に電話して誰も出なきゃそれまでだったのですが、世の中便利になりまして、会社に電話がかかってきて私が不在とかで出られないと留守番電話になり、ちゃんとメッセージを残してくれるとご丁寧に私の携帯にその旨を連絡してくれます。本当に仕事で出かけている場合は大変ありがたい機能なのですが、今日みたいな日だとか、平日に休み取ってゴルフ、などというときはつくづく余計な機能だと思います。

 基本的に仕事人間なのでいくら休んでいるとはいっても、メッセージを一度聞いてしまうと気になってコールバックせずにはいられません。その結果、「だれだれが死んじゃいましたけど弔電どうしますか?」とかだと、あー、聞いてよかったな、と思うのですが、「あの資料まだですか?」みたいな内容だと携帯を呪い殺してやろうかと思ってしまいます。

 でも実際は留守電の案内音声が英語だということもあり、メッセージを残す人はまだまだ少数派。メッセージを残さずに切ると携帯には連絡が来ませんので、平和を乱される場面というのはそう多くはないのが救いです。

2003年11月16日(日)

 先週の総選挙は週初から日本にいたので、こりゃ日本で投票してやれ、と思って役場に聞いたら、「海外登録人票」みたいなものを交付しているはずなのでそれを持ってきて不在者投票みたいなことをしてくれ、でも投票できるのは比例区だけね、と言われました。確かに登録人票みたいなものは交付してもらったのですが、滅多に使うものじゃないので今やどこにしまったのか見当もつきません。しかも比例区だけじゃ楽しさ半減。さらに不在者投票期間は地元にいないから投票しようがない、というように不運が重なり投票はできませんでした。せっかく比例区は「マニフェス党」と書こうと思っていたのに。

 投票日当日は昼間から近所の自宅宴会に巻き込まれ、選挙特番が始まる頃起きだしてテレビを見ていたのですが、不思議なもので見始めるとずるずると見続けてしまいます。大きな動きがあるのはほんの数場面だけで、あとはひたすら淡々とした展開を見続けるという点で、マラソン中継と似ているかもしれません。

 ちなみに常々「保守王国」の名を欲しいままにしてきた新潟県ですが、今回の選挙では小選挙区6議席のうち、与党系は自民党の2議席だけで、あとは民主と無所属という驚きの結果になりました。しかも半数の3議席が女性でそのうち2人は30代。組織選挙が全然機能しなくなったようです。

2003年11月2日(日)

 シンガポールで人気テレビ番組といえば『NHKのど自慢』が真っ先に思い浮かびますが、今週ののど自慢はなんとシンガポールが会場でした。これにはさすがに応募が殺到、かと思いきや締切直前まで一説によると数十組の応募しかなく、急遽日本人会から主要日系企業に応募の要請が出てしまいました。その甲斐あって、最終的には650組の応募があったそうです。大きな声では言えませんが私も650分の1でした。

 しかし私はめでたく書類審査(公称「抽選」)で振り落とされ予選に進むことはできませんでしたが、ある知っている人が予選に出たため応援の動員がかかり、金曜日には予選会を見に行ってきました。行ってみると平日にもかかわらずサラリーマンもたくさん来ています。知り合いにもいっぱい会いました。どうやらこの日は日系企業・金融機関は日本人不在の会社が多そうです。予選は250組が出場し、夜までかかって行われます。私はさすがに最後まではいませんでしたが、なかなか本番より面白いんじゃないかと思えるほど、いろんな人の歌とパフォーマンスで笑わせてもらいました。

 結果、25組が今日の本選に出場したわけですが、残念ながら私の応援した人達はことごとく予選で散ってしまいました。それでも今日のテレビを見ながら、お、この人いたいた、とか、へえー、この人こういう顔だったんだ(会場では遠くて顔までよく見えない)とか普段とは一味違った見方ができました。しかし一番驚いたのは、ゲストが登場したときの会場の盛り上がり。普段ののど自慢じゃあれほどは観客は歓喜しない。ゲストの二人もはるばるシンガポールまで来た甲斐があったでしょう。

2003年10月19日(日)

 今日はあの小田和正のコンサートがシンガポールインドアスタジアムでありました。小田和正といえばオフコースで一世を風靡、と言うと年齢がばれますが、その後もソロ活動で「あ〜の日あ〜の時あ〜の場所で」なんて歌を大ヒットさせた巨匠です。私も(オフコースの)当時は『SELECTION 19XX』というベスト版LPを真剣に聴いていたものです。シンガポールに来てからもカラオケでたまにオフコースの歌を歌ったりして「何この歌?」みたいな目で若い人たちに見られて気まずい思いをしたりもしました。

 これほどのオフコース人間なら間違いなく今回のコンサートは行ったんだろうと思われそうですが、行ったのはカミさんだけ。私はといえば同様の境遇の父子家族と家の目の前の日本食屋「恵」で父2人子供4人でカンパチの刺身なんかつついていました。行くに際しては、翌日が月曜日だということもあり、夫人たちからは9時までには帰宅して子供を寝かしつけるように、という厳しい指示が飛んでいました。ところが、その場所はレストランが軒を連ねる場所で、隣のイタメシ屋に会社の同僚で飲み仲間のK氏家族がやってきました。お互い食事が終わってからはジョイントして飲まずにはいられません。

 そこで、要は9時頃に子供を寝かせばいいんであって、どこで寝かそうがかまわないはず、という好都合の理論を編み出し、みんなで私の家へ来て子供は寝なさい、でもお父さんたちは飲むぞ、みたいな裏ワザを実行しました。いい気分の我々はマーテルのコルドンブルー(空港の免税店で15%割引を併用しても1万もする高級洋酒)を惜しげもなくガブガブやりながら、話した内容を今ではさっぱり思い出せないほど酩酊の淵に沈んでいきました。結局子供たちのうち、カミさん達が帰ってきたときに寝ていたのはたったの1名。詳しくは言えませんが我々はそれぞれこってり絞られたようです。

2003年10月12日(日)

 先日娘の通う日本人小学校の運動会がありました。シンガポールには日本人小学校が空港近くのチャンギ校と西のクレメンティ校の2校あって、居住地によって通う学校が別けられる学区制を採っていますが、2校合計で約1,400名の児童を擁して今年か去年かバンコクに抜かれるまでは世界最大の日本人小学校だったのです。うちはチャンギ校に通ってますけど、チャンギ校だけで実は1,000人以上いて、日本にいたら通っていたであろう小学校の8倍くらいの規模の学校です。まあ、数が多けりゃいいってものでもないですけど。

 そんなわけで、在外日本人小学校の運動会といってもなかなかあなどれないものがあり、かなり大規模な運動会になります。

 しかし、日本では実際どうなのかわかりませんが、小学校の運動会といえばござを持ってグランドの脇に座り、祖父祖母なんかと一緒になっておにぎりを食べながら盛り上がる、みたいなイメージがあるのですが、こっちはグランドから1.5メーターくらい高いところにプラスチックの椅子を並べて整然とそこに座って見ていて、いざ自分ちの子供が登場するときはグランド脇の撮影コーナーに行って写真やビデオを撮るというシステムになっています。基本的にグランドから遠いので団体競技とか演技のときは自分ちの子供を見つけるのに一苦労で、やっと見つけたときにはその種目は終わり、なんて状況もザラです。かけっこも五月雨式にスタートするのでカメラを持って待っている我々は全く気を抜けず、かなり持続した緊張感を強いられます。もし撮り逃そうものならかみさんにどんな仕打ちを受けるかわかりません。

 そういえば、日本とのおそらく決定的な違いは、猛暑のため運動会は午前中だけで終わってしまうということです。だから運動会でおにぎりを食べる、ということはありません。そのかわり、勢いで家の近くの食堂などで昼間からビールを頂くことになり、それはそれで結構なことです。ってゆーか、その方が嬉しいです。

2003年10月4日(土)

 ようやくこのページの更新が復活です。長らく待っていた奇特な方はまあほとんど存在しないと思いますが、多少の暇つぶしにお役立ちいただければ幸甚です。

 パソコンが調子悪くて更新できず、というのはBBSで書いたとおりですが、結局どうしたかというとこれもBBSに書きましたが、新しいパソコンを買っちゃったんです。今までのパソコンはもう丸4年使用したわけですから十分償却したといえるでしょう。調子悪いといっても多分Windowsを再インストールすれば元に戻るでしょうから、妻子専用マシンとしてなら十分使用に耐えると思います。

 今回買ったのはDELLのINSIPIRON5100。シンガポールで買うとキーボードが英語版の配列になっていて使い難いので日本のDELLで買いました。ところが日本のDELL通販は海外への配達はしないとのことだったので、いったん実家に届けさせて、そこから郵便小包でそっくりそのまま転送しました。だれか丁度日本から来る人がいればよかったのですが、なかなかそうは都合よく行きません。さすがにPentium4の2.4GHzなどという4年前は想像もつかなかったCPU、さらに512MBのメモリ、60GBのHDDを搭載しているだけあって何をやっても従来とは比較にならないほど処理が速い。さらにDVD R/RWなんかも付けちゃって使いこなせず持て余す始末。OSはWinXP Proですが、起動も終了もWin2000とは全然違ってこれまた速い。本当にテクノロジーの進歩は凄まじいですね。私の能力および所得もこれほど速く進歩すればいいのですが、牛歩がせいぜい、下手すると後退です。牛肉を控えてダチョウの肉でも食えば速くなるかもしれません。

2003年7月27日(日)

 これまでドライバー(ゴルフの)はシンガポールでは有名なY○JIゴルフのオリジナルドライバーを使用していたのですが、あまりにスライスがひどいので自分の腕を棚に上げてクラブがそうなってんだ、ってことで大枚叩いてテーラーメイドのR540に替えました。私にとっては初の新品クラブ。アイアンとパターを含めて今までずーっとタダもしくは安価で譲り受けた中古クラブばっかりでしたから、だいぶ勇気が要りましたね。

 で、結果はどうかというと、買ったその日(試打時)と翌日のラウンド時はかなりまっすぐ飛んでいい感触だったんですが、回数を重ねるごとに前ほどひどくはないにしろまたスライス気味になってきました。気が緩んでスイングが元に戻ったのかどうかは素人なのでわかりませんが、結局はクラブが全て解決するわけじゃなさそうですな。ちなみに他の人が同じドライバーで打つと私より優に50mは飛んじゃいます。道具も大事だけど、やっぱウデですね。なんでヘタクソかな〜・・・。

2003年7月13日(日)

 6月5日のこのコーナーで、サーモスタットを交換したらクルマの調子がよくなったことを書きました。その後、うちのシンガポール人スタッフがそのクルマを使って、マレーシアのマラッカまでロングランテストを兼ねてユーザー訪問に行きました。無事にユーザーへ到着して打合せをこなしたまでは良かったものの、シンガポールへの帰路、とうとうエンジンが死んでしまいました。基本的には全然直っていなかったっていうことでした。

 マレーシアからレッカーしてきて(これ自体は割とよくある事)クルマ屋に見てもらったところ、修理はほぼ不可能とのことで、どうしようかという連絡が日本出張中の私のところにありました。修理不可能ならば全部交換しちまえ、ってことで、中古のエンジンを見つけてきてそっくり交換してしまいました。費用は3,000ドル(約21万円)丁度。高いか安いかの判断はお任せするとして、無事に動くようになり、しかも今度こそ水温上昇の問題は解決しました。

 試しに昨日恐る恐るマレーシアまで行ってきましたが、全く問題ありませんでした。家族じゃなくて他人様を3人も乗せてゴルフに行くというシチュエイションだっただけに、途中で止まったらエライことになると思っていたので一安心です。ただちょっと音がうるさくなったのと、燃費が若干落ちているのが気掛かりではありますが・・・。

2003年6月5日(木)

 私が乗っているクルマはトヨタのクレッシーダといって、日本ではクレスタとして売っていた12年落ちで22万キロを走行済みのシロモノですが、1年以上前のある時点から水温計が簡単に上昇するようになっていて気になっていました。昨年の秋、マレーシアのマラッカに行った時は完全に水温計の針が一番右側に張り付いて、立派なオーバーヒート状態を示したりしてヒヤヒヤでしたが、ラジエターに水は充分入っているし、ファンもちゃんと廻っていて具合が悪そうなところはどこにもなく、こりゃメーター自体がいかれているのかと疑っていました。

 その時点では遠出をすると水温計が上昇する、という感じでしたが最近はシンガポールも暑さの盛りになってきて、ちょっと街へ行っただけでも針が右端に張り付くようになってきました。さすがにまずいだろう、ってことでトヨタの正規ディーラーとかその辺のクルマ屋とかいろいろ見てもらったのですが全然解決しない。一体どうなっているんだと焦り始めてきたところ、なんとクレッシーダのスペシャリストが存在するとの情報をゲット。もとトヨタのディーラーにいた人で、今は独立してやっているらしい。早速来て見てもらったところ、多分サーモスタットだろうと看破してくれました。果たしてサーモスタットを外してみると、弁の部分がカットされていて水がラジエターまで循環せず、シリンダーの周りだけを循環しているせいだ、ということが判りました。

 サーモスタットの弁部分のカットは、私の経験で言うと市販車をレース仕様にする時に冷却効率を高めるために行っていましたが、今回の場合はクルマの構造上逆効果になっていた、ということでしょうか。誰がカットしていたのかは知りませんが、冷却効率を落とそうとしてカットしたのじゃない事は確かでしょう。

 とにかくこれでめでたく安心して走れるようになることでしょう。それにしてもいろんなスペシャリストがいるものです。古いクルマなので、現在のディーラーにはもはやこのクルマについて詳しい人がいなかったということでしょうか。転職の盛んな国ですから。

2003年5月25日(日)

 シンガポールではSARSはかなり下火になってきましたが、制圧宣言が出される予定だった今月18日に新たに確定患者が出てしまって、制圧宣言はおあずけになりました。ただ、実際は市民生活も以前のような神経質な感じはなくなって全く普通に戻っている感じです。アメリカの渡航延期勧告も解除されたためか、これまで稼働率が20%とも10%とも言われていたホテルにも予約が入り始めているようです。

 とは言っても以前のような70%以上というような稼働率には遠く及ばず、そのため居住者向けのプロモーションを各社が打ち出しています。例えばあのラッフルズホテルが朝食付で360ドル(25,000円)とか、リッツ・カールトンが朝食なしで200ドル(14,000円)とかかなり破格です。ちなみに日本と違って1名あたりの料金じゃなくて1部屋の料金です。さらに先日某日系Nホテルから電話があって、週末2泊朝食付で120ドル(8,000円)で泊まらないかという誘いがありました。一緒に泊まってくれる人が見つかったら泊まると答えましたが、ホテル業界も本当に大変な時世です。

 ホテルと並んで大変なのが航空業界です。強気の商売で有名なシンガポール航空が次々とプロモーションチケットを乱発しています。例えばバンコク230ドル(16,000円)とか東京550ドル(38,500円)などなど。東京の550ドルはJALやANAも同水準です。ところが、我々外国企業の駐在員というのは市場の需給バランスを形成しているメインファクター、すなわち影響力の高い市場参加者なワケで、価格を下落させている張本人であるが故、いくらプライスが下がったからといっていろいろと会社の規制もあってホイホイ乗るわけにはいかないんです。したがってこの恩恵を受けるのは主としてシンガポール人の一般旅行客でしょうね。お、それなら地域社会へ貢献しているのか、とも一瞬思ったのですが、そもそも地元航空会社あるいはホテルの売上を一気に落としてるのですからマイナス貢献の方が遥かに大きいですな。

2003年5月12日(月)

 昨日はタナメラっていうゴルフ場でまたまたよせばいいのにゴルフなんぞしてきました。タナメラはチャンギ空港の滑走路のすぐ傍にあって家からクルマで10分足らずで行けるのですが、いかんせん高級の上ワンメンバーワンゲストなのでなかなか行けないところです。ラウンドしていると離陸や着陸をする飛行機の音が非常に迫力あって、静かに集中したい人にはどうかと思いますが、人の野次とかが聞こえないのでそういう人とまわる時にはいいかもしれません。チャンギに発着する飛行機はシンガポール航空を始め軒並み減便をしているにもかかわらず頻繁に音がしていましたから、通常はほとんど会話不可能かと思われます。

 スコアの方はとても人様に言えたものではありませんが、ゴルフをやる度に数字が増えていっているのは確実です。今度、ゴルフに自信のない人への勇気付けと自分への戒めの意味をこめてプレイするたびに成果をアップしていくコーナーでも作っちゃおうかと思いましたが、自分が入っているゴルフ場にあんなハイスコアが知れると除名になるかもしれないのでちょっと迷っています。

 ボーリングなら自慢にはならないまでも、ちょっと誉めてもらえるかも・・・って感じ。おいおい。

2003年4月13日(日)

 SARSの影響で、日本の本社側では、WHOが指定する香港その他、SARS汚染地域からの出張を含む帰国社員は帰国後10日間の自宅待機とする通知が発せられました。しかも出勤扱いで。WHOの汚染地域にはシンガポールも含まれていますので、今日本出張すれば自動的に10日間の特別休暇が付いてくるということになりますな。別の見方をすれば、会議なり打ち合わせの日の10日前には日本に入国するように出張スケジュールを立てなければならないということです。大変な時代ですね。

 保健省の発表によると、シンガポールでは12日現在で147人の感染者がいますが、うち、78人は病状が回復して退院しており、9人が死亡しています。入院患者60人のうち、15人が集中治療を受けています。深刻な症状になるのは、高血圧、糖尿病、腎臓病等、他の持病がある人が多いようです。金欠病は合併しないらしいです。この他に、シンガポール名物の強制隔離で558人が自宅待機になっています。ウソかホントか待機者の家には監視カメラが据え付けられて、違反すると5,000ドル(約35万円)の罰金だとか。増加している感染者はほぼ100%が病院関係者です。命懸けの仕事ですね。ちなみに147人の感染者のうち、18歳以下はなんとたったの4人。原因ははっきり判らないわけですが、幼児期の予防接種の抗体が残っているうちは罹り難いんじゃないかという医師の話を聞きました。こうなりゃ大人ももう一度三種混合とか受けさせた方がいいかもしれません。

 ここ2週間ほど、デパートやショッピングセンターはどこでも人が少なめで、大変買物をしやすい(実際はしないけど)環境にあったのですが、一昨日の金曜日はいきなり客足が戻っていました。外出を控えていた人もさすがに隠遁生活に疲れたのでしょう。

 一方、今日のセントーサゴルフ場(ヘタなくせにワケあってメンバーになっちゃっています)はいつになく日本人が多くて驚きました。シンガポール国内のゴルフ場は高いので、普段はマレーシアやインドネシアでプレイする日本人もイラク戦争とSARSで国境を越えた移動が会社から制限されているせいでしょうか、今は多少高くてもシンガポールでプレイするしかないということですかね。そういう意味では普段からシンガポール国内でプレイする方が多い私は恵まれているのですが、恵まれていることとスコアの良し悪しとは全く関係がないことが私によって証明されています。

2003年4月5日(土)

 今週に入ってからSARSの話題がかなり盛り上がりを見せています。日本でもセンセーショナルに報道されているせいか、外出しないで家にじっとしていろなどという両親からの進言もあったりします。実際シンガポールではどんな感じかというと、日本で考えられているほど深刻ではないです。

 シンガポール政府は他国に先駆けていち早くSARS封じ込め政策を実施しました。つまり、香港なり中国なりで感染してSARSを持ち込んでしまった患者と接触のあった家族、友人、病院関係者等を強制的に自宅待機という形で隔離して、SARS診療は一つの病院に集中させました。また、早い段階で公立校の学校閉鎖を実施し、私立校もそれに倣いました。さらに、チャンギ空港での入国者の検査強化も速攻で行わせました。結果的に新たな患者というのは、新たに国外で感染した人が数人いた他には自宅待機の人の中からしか出ていません。

 これに対し、中国や香港は対応がかなり後手後手に廻ってしまい、深刻な状況を引き起こしたということです。国土の小ささ故でもありますが、まさにシンガポール政府の強制力恐るべしです。

 そうは言っても経済活動への影響は出ていまして、観光関連や運輸業界は確実に打撃を受けているようです。特にホテルは客室稼働率が激減。イラク戦争の影響も元々あったのですが、泣きっ面に蜂とはこのことですね。人ごみを避けなさいという勧告から、バスや電車、タクシーなどの公共交通機関は10%程度乗客数が減少しています。シンガポール航空は香港線を中心に大幅に減便させました。

 日本のマスクメーカーは今やマスクの生産が間に合わないくらい多忙のようですが、シンガポールの街中でマスクをしている人は全くと言っていいほど見ないですね。香港とは大違いです。そもそも中国人にとってマスクは死者が身に付けるものらしく、日本人みたいにインフルエンザの季節や花粉の季節に気軽に着けたりしません。香港の場合はその慣習を覆すほど深刻なのかあるいは集団心理が働いたということなんでしょうか。しかし、医師に言わすとマスクはしないよりはした方がいいが、効果については疑問符が付く、というものです。だったら息苦しいし見苦しいので私も着けていません。

 ともかく、飲み屋やカラオケラウンジやホーカーセンターはいつもと全然変わらないくらい繁盛しており、手洗いやうがいを励行すれば少なくともシンガポールの日常生活においては、全くSARS恐れるに足らずですな。

2003年3月21日(金)

 とうとう戦争が始まってしまいました。おかげでモルディブ旅行を予約していたのに日本からの指示で出発できなくなって、9,000ドルがパーになっちゃった人がいます。あまりの悲惨さに同情の言葉もありません。私の場合はインドネシアのビンタン島でゴルフの予定でしたが、やはりインドネシア全面渡航禁止令が出てフェリー代45ドルが泡と消えましたが、そのくらいは前述の人に比べれば屁でもないってことですね。この個人的怒りは、独裁者フセインと傲慢なブッシュへと向うしかないのでしょう。

 ところで、世界各地で行われている反戦デモを見ていると、米国大使館の前等で米英に対する非難を掲げたプラカードばかりが目立ちます。しかし、根本的な原因はあくまでもイラクの世界平和に対する脅威、というところにあるのだから、フセインの亡命や大量破壊兵器の即時廃棄を訴えるメッセージがあって然るべきだと思うのですが、不思議なことにそういうのは見当たりません。米英を正当化するわけではありませんが、攻撃をしている、あるいは強者であるという理由から米英だけが戦犯であるかのような風潮がないでしょうか。イラクの取る態度によっても戦争は回避できたのですから。本当はイラクの在外公館の前でもデモは行われているかもしれないし、イラクに対するメッセージもあるのかもしれませんが、少なくともマスコミの報道からは見えてこない。これは必要以上に米国の孤立化、あるいは反米感情の醸成を助長していきそうで心配です。ひょっとしたらそれこそフセイン、あるいはオサマ・ビン・ラディンの狙いかもしれません。

 ちょっと前に小泉首相がそういうデモを見て、イラクに誤解を与えるような言動はいけない、という旨の発言をしましたが、こういうことを言っていたのかもしれません。ところが例によって言葉が足りないから、何言ってんだか、ってなことになった。今回のイラク攻撃支持に関しても説明がよくわかりません。「日本は北朝鮮のミサイル攻撃の危険に直面していて、米国の力をどうしても借りなければその危険を排除できない。だから今は米国に同調する以外に道がないのです。日本は単独では自国を防衛できないのです。」ということかどうかはともかく、解り易く言わなければいけません。中には、北朝鮮問題とイラク攻撃は個別に対応すべきだ、とする意見もあるでしょうが、国際関係がそんなきれいごとで済めば国連ほどラクな職場もないでしょうね。

2003年2月23日(日)

 シンガポールでも日本人社会、欧米人社会、シンガポーリアン社会を問わず、子供の誕生日会を催すのはよくある話なのですが、自宅に呼ぶよりはパーティルームみたいなのを借りて催すのが一般的です。

 今日は娘の幼稚園時代の同級生の誕生日会だったのですが、まあ、正統派日本人的には父親は送っていくだけで実際に会に参加したりはしませんね。ましてや呼ばれている側ともなれば勝手に行ってこい、ぐらいの家も珍しくはありません。ところが欧米人は父親も比較的多く参加するらしい。私などは自分ちの子供の誕生日会さえ送迎役に徹するほどの純日本人ぶりなのですが、妻から言わせると、『欧米人は家庭を大切にするねえ』ってな単純な感想につながるわけです。私としては、みんなよほど平日に悪いことしてるから休日の罪滅ぼしが大変なんだなあ、とか思っちゃんですけど。

2003年2月9日(日)

 シンガポールで日本人の食生活を支えていた大丸が3月いっぱいで撤退し、スーパーマーケット部門については明治屋が後を引き継ぐことが決定していますが、大丸閉店に向けてこの週末はいろいろなイベントが行われてました。

 衣料品や食器などの半額セールはすごかった。普段は滅多に来店しないけど安売りに非常に敏感なシンガポール人が大挙して押し寄せ、レジは恐らく1時間待ちくらいの長蛇の列。シンガポールに赴任して以来、あれほど混雑した大丸を見たのは初めてでした。

 スーパーの方では北海道の弁当業者が来て海鮮関係の弁当を売っていて、これがまた美味かった。シンガポールもシーフードはもちろんポピュラーで安いですけど、北海道の蟹やウニやイクラのようなものはやっぱりないわけです。そこで、折角なのでその3品を載せた弁当を買って食べました。結構ボリュームがあって、具でご飯が見えないくらいになっていて20ドル(約1,400円)ははっきり言ってかなり安いと思います。で、フードコートに持ち込んで食べていたら、隣に座っていたシンガポール人の爺さんが興味深そうにどこで売っているのかと聞いてきました。ところが値段を聞いてぶったまげた。ローカルのフードコートで食べれば4ドルもあれば十分なのに、なんで20ドルも出すのかって感じで。いやいや爺さん、ローカルの店じゃこの品々は絶対手に入らんでしょ?これでもかなりオトクな値段ですよと説明してもひたすら驚くばかり。まあ、食は文化であり文化には多様な価値観がありますから、安さが最優先されるべき価値だと思っている限りはこの20ドルの価値は絶対わからないでしょう。

 さらに大丸と同じ建物にあるニューオータニのボールルームでは桂三枝師匠の寄席がありました。もちろんお代は大丸持ちで客はタダで入場です。三枝師匠がシンガポールで落語をするのは去年に引き続き2回目。私は去年も行ってます。さすがに会場は日本人だけでした。ここではオバハンパワーに圧倒されました。公演が始まるまでの待ち時間、場内アナウンスが、会場に入ってから仲間のために座席をキープするのは止めてくれとか、場内で飲食はしないでとか訴えていてもお構いなしで、椅子は平気で2、3席キープするわパンとかいきなりムシャムシャ食べ始めるわ、ちゃんと椅子の真中に座ればいいものをデカイ尻を3分の1くらいこっちの椅子へはみ出させるわ、遠くに知り合いを見つけては『すいませ〜ん』などと、絶対あなたこれっぽっちもすいませんと思ってないでしょ、と思わせるセリフを言いつつ奥の席から出たり入ったり。日本にいても外国にいても常識が半ば剥落した自己チューなオバハンパワーは衰えることがないようです。

2003年2月6日(木)

 30日から家族旅行でタイに行っていて昨日帰ってきました。例によって飛行機の予約が出遅れたため、1週間くらい前になってようやくフライトが決まるというドタバタがありましたけど、まあ結果オーライです。

 今回のメイン目的地のクラビはタイの南部に位置し、断崖絶壁に囲まれた交通不便な土地にあって、マレー半島にあるくせに一度プーケットに入ってそこからクルマまたは船で行くというのが一般的だったという陸の孤島的土地だったのですが、1999年に国際空港ができてアクセスが格段によくなりました。シンガポールからはシルクエアーがダイレクトで週4便飛んでいるのですが、今回はまだ一度もバンコクへ行ったことのない家族のために、欲張ってバンコク経由にしました。

 初日(30日)は夜にバンコク空港到着で、バンコクへは向わず、うちの工場もある世界遺産の街アユタヤへ直行。飛行機が遅れたため、遺跡のライトアップには残念ながら間に合わなかったのですが、巷のネオンには無事に間に合ったようで、家族をホテルに残して会社の人とちょびっと唄の練習に行きました。

 2日目(31日)は朝からアユタヤの遺跡巡り。大人には非常に興味深いのですが子供は2ヶ所目になるともう飽きちゃいます。それでも昼食を挟んで5ヶ所を巡りました。そのままバンコクの空港に行って夕方のフライトでクラビに到着。便数が少ないので国際線と国内線が同じターミナルを使用するこじんまりとした空港です。

 3日目(1日)は午前中プールで遊んだ後、午後からは滞在しているアオナンビーチから船で10分弱のライレイビーチへ向いました。アオナンビーチは繁華で便利なのですが、陸路でアクセスできないライレイビーチの方が景色も海も綺麗なのです。船は笹舟にエンジンを付けました程度のモノで、天気も唯一この日だけは時折小雨がぱらつく感じでいまいちだったのですが、綺麗なビーチに満足です。

 4日目(2日)は一日かけてピーピー島巡りのクルーズに参加しました。周囲の島を含めたこの島一帯は、それはそれは美しい白砂のビーチやエメラルドグリーンの珊瑚の海に囲まれていて、ディカプリオ主演の映画『ザ・ビーチ』の撮影も何を隠そうここで行われたということです。何ヶ所か洋上で停泊してシュノーケリングをやったり、ビーチにも何ヶ所か寄りましたが、最後に寄ったバンブーアイランドという島は最高でした。こんな空の色と海の色と砂の色の組合せが本当にあることと、そこで自分達が海水浴というか甲羅干しというか、とにかくリラクゼーションしているということが夢のようでした。

 5日目(3日)はフットマッサージなどして過ごした後、午後の飛行機でバンコクへ戻りました。ホテルにチェックイン後、読んだことのない三島由紀夫小説『暁の寺』として有名なワットアルンの、夕日に染まる姿をひと目見ようと急いで出かけたのですが、なかなか来ない船を待っている間にとっくに日没となってしまいました。

 6日目(4日)は午後からエメラルド寺院として有名な旧王宮に隣接したワットプラケオと、マッサージ学校と巨大な涅槃仏が有名なワットポーを観光し、夜はあまり外国人の行った形跡のないようなちょっと郊外の、一人の従業員にしか英語が通じないラオス料理レストランでラオス舞踏を見ながら夕食。言葉の不自由さという点で、今回の旅行中最も外国を意識できました。その後はまたまた家族をホテルに残し、最近シンガポールからバンコクへ転勤してきたホテルマンの知人と唄の稽古へ行きましたが、さすがにアユタヤより洗練されていました。

 最終日(5日)は昼過ぎの飛行機でシンガポールへ帰り、片付けもそこそこに撮ってきたビデオなど見て、撮り方がヘタクソだの地面撮ってんじゃねーよとか、急に白人のビキニのおねーさんがアップになってどこ撮ってんのよまったくとか言って反省会を開いている姿は、かなり正統派日本人の旅行後の姿でありましょう。

2003年1月29日(水)

 中国人社会では8がラッキーナンバー。しかももうすぐおめでたい正月。意図したわけではないのですが、自分でこれを取ってしまいました。

8888

2003年1月26日(日)

 床屋に行ってザクザク髪を切ってもらいながらイギリスのクルマ雑誌を読んでいたところ、「The Most Beautiful Car」という特集があって、なんでもネットを通じてクルマ関係に携わっている世界中の様々な人々から投票してもらって、イカすクルマを100台選びましたというもの。性能云々よりも見た目のカッコよさが基準ですね。

 1位はジャガーEタイプ。かなり古いヤツ。2位はミウラ。これは頷ける。3位はフェラーリのすごい古いヤツ。国産では240Z(Z-Gじゃなくてラジエターグリルがあるヤツ、日本では432として売られてたモデルでしょうか?)とスカイラインのR33が入っていました。フェラーリやランボルギーニはエンツォ・フェラーリとかも含めて最近のモデルもランクインしていましたが、総じていわゆる旧車が主流でした。

 私的には1位トヨタ2000GT、2位ミウラ、3位ロータスヨーロッパでしょう、って思うのですが、どうですか?

2003年1月26日(日)

 ようやく雨季が明けたようです。毎日朝からいい天気で、夕方に雨が降ることもありません。しかも暑さもそれほど酷くなくてせいぜい31度くらいなので、一番いい時期と言えるのかもしれません。

 一週間前の日曜日が一日中雨だったのですが、今思えばそれが雨季明けの最後の雨だったのでしょう。しかし、そんな中で私はずぶ濡れになりながらゴルフをやっていて、かなり高いスコア(良いスコアではない)を叩き出したのでした。中途半端に強い雨が絶え間なく降り続いて、さすがにそんな日にプレイする人も少なくて、かなりゆっくりと回れたのは良かったのですけどね。いかんせん、やっぱり雨じゃ濡れて気持ち悪いしボールも転がらないし、苦痛の方が大きい。もうちょっと雨が強く降ってくれたり、雷でも一発鳴ってくれれば中止になるんだけどなあ・・・、誰も止めようと言い出さないし、みなさんすごい熱意だ、と思っていたのですが、実は全員そう思っていたということがラウンド後に判明しました。

 今週末から中国正月の連休です。我が家は木曜日の夕方から翌週の水曜日までタイのクラビに行きます。最近わかったのですが、クラビってずっと島だと思っていたら、半島部だったんですね。行く前に気付いてよかったです。しかし、『まっ○る』には『クラビ島』って書いてある部分があったっけなあ・・・。

2003年1月12日(日)

 1月ももうすぐ半ばだというのに、まだ雨季が明けていないようで毎日のようにシトシトと降る雨の日が続いています。昨シーズンは12月末に大雨が一日中降り続いてそれを境に雨季が明けたのですけど、今シーズンは少なくともそれより半月は遅れているわけです。

 そのような中、先週末に会社のD&Dが行われました。D&DはDance & Dinnerという当地で一般的に行われているパーティイベントのことで、特に年末あたりに多く行われているようです。ホテルのボールルームを借りて、演出や司会も専門家に頼んで行われるのでかなり派手なものになります。今回の出席者は総勢120名くらいで、丸テーブル13卓くらいになりました。

 食事は一部のベジタリアンやムスリムを除いて、中華料理のコースです。今回利用したホテル内には有名な中華料理レストランもあって、味の方も文句なしです。ところが酒好き(というか日本人)というのは日本にいても外国にいても取る行動が同じで、最初のアペタイザーを食べる頃には既に相当量のアルコールを摂取しており、いい気分で他のテーブルへと徘徊し始めるわけです。そしてそれぞれのテーブルで乾杯と一気飲み(日本より盛ん)を繰り返し、酩酊の淵へと沈んでいきます。そして気が付くと料理には一切手をつけていなかった、という結果になるのはお約束ですね。中締め後のディスコタイムではもう何がなんだかわからない状況になりつつ、夜は更けていったのでした。

2003年1月5日(日)

 2003年も無事に明けました。ローカルからは大晦日の注意事項として、欧米人の多いホランドビレッジに行くなだのチャイムスに行くなだの、お年玉は部下にも用意しろだのと言われていましたが、特にどこにも出かけることもなく、ましてや部下のお年玉など用意するわけもなく、2002年は同じコンドに住む同僚とのドンチャン騒ぎの中で暮れていき、気が付いたら新年の2時半、しかも宴会スタート時にはいなかった人までいて、聞くところによると私が無理やり電話で呼んだらしい。のっけから不安な2003年です。

 紅白はビデオで録画していたのですが、高画質にこだわる私は標準モードで撮ったため、宴たけなわに達した頃の2本目への交換をすっかり忘れて30分オーバー。追い討ちをかけるように、しなくてもいい3本目の交換をしたら、なんと3本目だと思っていたテープが1本目のテープで、藤本美貴以降の若手5組が『蛍の光』と『ゆく年くる年』に上書きされてしまった。

2002年12月31日(火)

 先週金曜日から2泊3日で、シンガポール内ですがホテルに滞在してました。何週間か前にたまに会社で利用するホテルのイヤーエンドディナー(まあ、忘年会ですな)に呼ばれた時にラッキードローで無料宿泊券が当たっていたようなのですが、その日は3時まで飲み続けてすっかり酩酊し、それ以降ずっと宿泊券の存在など頭の片隅にもなかったのに、ある日妻が偶然見つけたおかげで利用することができました。

 発見された時も、なんでそれがあるのか思い出せずホテルの人に電話して聞いたのですが、3時まで一緒に飲んでいたその人も全て記憶の彼方となっているらしく、いつどういう形で貰ったのかは結局わからなかった。おかげで妻からは、さては他のおねーちゃんと使おうとして隠していたのかなどと、なかなか鋭い指摘を頂戴する事になってしまいました。

 シンガポールにいながらシンガポールのホテルに泊まるというのもなんですが、それなりに非日常的な時間空間が味わえてなかなかの贅沢でした。ただ、バチがあたったのか、帰宅した29日夕方からなんとなく熱っぽくなり、それでも汗をかけば治るからとジョギングなどやらかした挙句、仲間とのBBQになんて行くもんだから38度以上にまで体温が上がり、熱のせいなのか酒のせいなのかよくわからない寝苦しい夜を過ごし、30日の仕事納めは不本意ながら午前中だけで帰宅せざるを得ませんでした。

 そんなこんなで2002年も今日で終りですが、折角なので私的2002年5大出来事コーナー。

(1)長女が小学校入学・・・・・担任が若い美人先生だったらどうしようかと心配したが、現実は厳しい。

(2)オーストラリア家族旅行・・・・・会社の人と現地で合流して毎日1時2時まで宴会の日々。酒屋の場所には詳しくなった。

(3)幼馴染と偶然再会・・・・・赴任地だけでなく赴任日まで一緒。不思議な事に今では頻繁に飲み屋で見かけるようになった。

(4)10kg減量・・・・・まさにスリムテン。飲んだわけじゃないけど。ちなみに病気でもありません。

(5)拉致被害者帰国・・・・・皆さんが徐々に垢抜けていく様は大変興味深かった。

 というわけで、2003年も宜しくお願いします。

2002年12月22日(日)

 住んでるコンドミニアムのプールサイドでクリスマスコンサートがありました。そんな大袈裟なものではなく、みんなでクリスマスキャロルを唄いましょう、的なものです。クリスチャンがそれほど多いかというとそんな気もしないのですが、まあ皆さんこういうイベントは好きのようです。

 隣のチャイニーズの子供と一緒に見ていたのですが、その子は6歳なのに英語のクリスマスキャロルを一緒に完璧に唄っていました。彼女の幼稚園は英語教育なので当たり前と言えば当り前だけど、お、すげえ、とか思っちゃいましたね。

2002年12月8日(日)

 来年1月1日から、GST(日本で言う消費税)が現行の3%から4%へ1ポイント上げられることになりました。実はもう何ヶ月も前に、5%へ上げることで決定されていたのですが、景気への配慮から上げるべきではないとの意見が根強く、そういった意見に対して予定通り5%にする、と言い切っていたゴー首相ですが、実施1ヶ月前のここへきて段階的な増税とすることを発表しました。

 まあ、シンガポールらしいといえばシンガポールらしい、非常に柔軟な政策対応と言えるでしょう。それでも一部には増税見送りという期待が強く残っていたことも確かで、蓋を開けてみないと判りませんが、低迷を続ける景気に影響を与える可能性は十分考えられます。しかし今のところ、日本で見られたような駆け込み需要はそれほど見られない感じです。あまり気にしていないんでしょうか?経理屋の立場から言うと、段階的な税率の変更は事務処理上なかなか厄介なので、できれば避けて欲しかった。

 消費税増税というと、ついつい橋本政権時の増税強行から景気の谷底へまっしぐら、という悪夢を思い出します。ただ、シンガポールの場合は消費者のマインドが当時の日本と比べてそれほど悲観的ではないことや、政府のコントロールの上手さなどから日本の二の舞にはならないであろうと期待してます。

 なんだかんだ言って超ミクロ的に見れば100ドルの消費に対して1ドル、1,000ドルに対しても10ドルしか違わないわけですから、その分例えばタクシーに乗るのを1回減らしてバスにするとかで補填できるわけで、そういう人が増えるとタクシー会社はちょっと打撃かもしれないけど、消費行動がひっくり返るほどではないような気もしますね。まあ、男の感覚なんてそんなもんでしょうか。

2002年12月1日(日)

 今年も残すところ僅か1ヶ月となりました。紅白の顔ぶれも発表され、お、藤本美貴がいきなり登場か、しかも松浦亜弥もどんな歌唄ったのか知らないけど2年連続とは、などとたいそうたまげているような季節ですが、こちらは相変わらず真夏です。

 日本ではベイブレイドなどとっくに流行って今じゃすっかり廃れているのかどうかは定かではないですが、シンガポールでは割とただいま大流行の気配です。うちは日本の影響でだいぶ前から買っていたのですが、今日もメタルボール内蔵の新型(かどうか知りませんが)を買いました。妻と娘がスーパーで買物をしている間、それに付き合ってもなんの喜びも得られない私と息子は近くのカフェバーに行ってビールとQooを飲みつつ買ったベイブレイドを組み立ててました。ちなみにQooは「クー」とは読まずに「キューオーオー」または「キュー」と言わないとシンガポールでは通じません。いつぞや「クー」と言ったらコークが出てきました。

 それはともかく、簡単に組み立て終わってしばらくしてから2杯目のビールを頼んだところ、店のオヤジが組み上がったベイブレイドを見て驚愕しました。

オヤジ:「なに!? もう組み立てたのか?」

私:「そうだけど。」

オヤジ:「おまえはなんて頭がいいんだ!」

私:「なんだそれ?」

オヤジ:「さっきおまえらが来る前に、やっぱりこれを組み立ててた奴がいたんだが、そいつは組み立てるまでにビール3杯飲んだ。でもおまえは1杯飲まないうちに組み立て終わっているじゃねーか」

私:「その人は日本人だった?」

オヤジ:「いや違う。そうだなあ、イングリッシュマンだった。」

 まあ最後の「イングリッシュマン」がイングランドの男なのか英語を話す白人なのかは明らかではないですが、これから察するに、一般人のレベルで比較すると白人より日本人の方が消費したビールの量から考えて3倍は頭がいいのではなかろうか、というふうに思って妻に言ったら、「説明書が日本語なんだから当り前でしょ」という夢もロマンもない正論が返ってきました。

2002年11月24日(日)

 今年もクリスマスシーズンがやってきました。多重宗教崇拝の日本人としてはやはり意識せざるを得ません。シンガポール人も一部の敬虔な人を除きキリスト教徒以外でも多くの人はクリスマス気分に浸るわけで、街の中はクリスマスの装飾で賑わいます。

 各ショッピングセンターのクリスマスデコレーションを競うコンテストなんかも開かれたりして、なかなか綺麗で煌びやかな街の景観となりますが、メインストリートであるオーチャードロードのイルミネーションは今年もいまいちの感が否めません。個別のビル自体は頑張っているのですが、肝心のオーチャードロードという通り自体の装飾が今ひとつ華やかさに欠けるような気が今年もします。

 そうは言ってもやはりクリスマスはクリスマス。こんな時は子供に要注意です。周囲のおまつり気分に乗せられて身のほど知らずのオモチャなどをサンタさんに要求するかもしれません。親としては近年の不況によるサンタさんの財政緊迫状態なども織り交ぜつつ、我が家は敬虔な仏教徒である旨を日々言い聞かせる一方、深夜の唄のレッスン場においては人知れず達郎の「クリスマスイブ」などを熱唱しなくてはならない自己矛盾を噛みしめなくてはいけないわけです。

2002年11月17日(日)

 先日珍しく3連休があったので、そのうちの2日間だけを利用してマレーシアのマラッカに行ってきました。マラッカ海峡はなんとなく日本でも有名ですが、そこにマラッカという街があるという事実は知っていそうで知っていなそうな微妙なところではないでしょうか。

 マラッカはマレー半島の西海岸にあって、クアラルンプール(KL)の南側、KLからクルマで1時間そこそこと比較的近い距離にありますが、逆に言えばシンガポールからは約250kmということで結構距離があるということになります。マレーシアで一番古い街ということらしく、街のシンボル的な地位で観光の目玉でもあるキリスト教会やファモッサ砦など他の街にはないポルトガル統治時代の面影を色濃く残す街並、というのがウリです。実際は街全体がそうなっているわけではなくて、ある一画だけが観光用に保存されているというところのようです。しかしそんな苦心の末に整備された街並とはいえ、日中はシンガポールに比べてかなり体感温度が高くてかなわないので、らうらくと街並見物と洒落込むことも一苦労となり、結局は涼しいショッピングセンターで大半の時間を過ごすという、単に内外価格差を利用した買物ツアーみたいになってしまうのは我が家だけではないようです。

 シンガポールからマラッカへ行く場合、KLまで飛行機を使うようなことはほとんどなく、バスを利用したりマイカーを利用したりして行くのがポピュラーですが、観光バスツアーは意外とフトコロが痛む結果となるので今回はクルマを利用しました。250kmとはいえ、ずっと高速道路なので普通に行けば3時間強で着きます。まあそれはいいとして、マラッカに着いてからホテルまでの市内走行や、帰りの国境の渋滞時にうちのクルマの水温計(物理的な針じゃなくてLEDのタイプ)は見事に右端に貼り付いたままとなっていました。内心すごいヒヤヒヤで、エアコンを切ったりエンジンも渋滞中は止めたりしてだましだまし運転していたのですが、それにしても30分以上もメーター振り切ってレッドゾーンバリバリな状態になっていながら結局なんにも支障はありませんでした。ボンネットを開けて見てみれば冷却水は全然減っていないし、ラジエターのファンもしっかり回っていて特に悪いところも見当たらない。絶対メーターの間違いとは思いましたが、やっぱり精神衛生上非常によろしくないです。インパネのメーター類はやっぱりデジタルよりアナログが信頼できますね。まあ、そもそも22万キロも走ってたらほとんどのクルマはいろんなところがいかれちゃいますか。。。

2002年10月27日(日)

 こないだのバリのテロを受けて、関連する動きがいろいろ出ていますが、ちょっと合点がいかないのが、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスの渡航規制国の中にシンガポールが入っちゃったことです。確かにインドネシアにも近いし、周りはイスラムの国がいっぱいあって火の粉が飛んできそうな位置にはありますが、なにも規制まですることはないんじゃないかと。インドネシアと違ってテロに対する取締や警戒もかなり厳しいですし。まあ、アメリカのリストには含まれなかったことは救いです。

 などと思っていた矢先、シンガポール発東京経由ロスアンジェルス行きのシンガポール航空機が、爆弾が仕掛けられたという情報によって出発が一日遅れるという出来事がありました。結局爆弾は発見されず、愉快犯の仕業ということになったのですが、こりゃやっぱり穏やかじゃありません。私は28日に香港に行くのですが、図らずもその飛行機も最終目的地がサンフランシスコですが同じアメリカ行きということで、まあアメリカ行きだから偽の情報が出たのかどうかわかりませんが、いずれにしろいい気持ちがしなかったものですから香港止まりの便に変更しました。

 それに加えてやはり気になるのはアメリカのイラク攻撃があるのかどうか。行為自体の正当性もさることながら、そういう高尚なテーマは置いといて、目下の関心は来年の旧正月に影響が出なきゃいいけど、という極めて個人的なことです。モルディブに行こうかと考えている私にとって、中東でのドンパチは迷惑この上ない。そうじゃなくてもそんなのが始まれば飛行機全面禁止とかになりかねないですし、保険として予約を入れてあるタイのクラビでさえ行けなくなっちゃう。私にとっては最後の旧正月になる可能性が非常に高く、そんなくだらない理由で貴重な休みをフイにされたくはありません。欧州を始め世界各地でイラク攻撃反対、ブッシュはダメだ、みたいなデモや集会が行われていますが、私も全面的にそういう考えを支持します。テロリストが諸悪の根源であることは言うまでもないですが、それに輪をかけて世界の平和を乱そうとしているのはブッシュに他なりません。理由は全く個人的でまことに申し訳ないのですが、とにかくブッシュは早く辞めてくれと思う今日この頃です。

2002年10月13日(日)

 バリでの爆発事件はショックです。原因がテロと見られるうえ、死傷者が多数出たというのももちろんですが、12月に行こうかと計画していた矢先の事ですので。世界最大のイスラム教徒を抱えるインドネシアにあって、バリだけはヒンドゥー信仰の島で、それ故かどうか、治安も他の地域に比べてかなり良好でした。インドネシアの中でバリだけは外務省の危険度が一段低かったのもそのためです。しかしこれで当分は危ない地区の仲間入りをすることでしょう。そうすると社内の出張規制区域ににも指定され、別にバリに出張に行く用事があるわけないですが、出張でも行けないような所に遊びで行くとは言語道断、というロジックがあるため、ちょっと12月はやばそう。

 ホントにもう頼むからやめて〜、テロリスト。

2001年 2月 3月 4月 5月 6月 7月〜9月 10月〜12月

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