2002年3月31日(日)

 明日から新年度です。うちの娘も小学校に入学となります。まったく月日の経つのは早いものですな。

 辻元ちゃんの秘書給与詐取疑惑事件を見ていると、日本の政治がどうのこうのということより、そりゃ誰でも同じ事を考えるわな、と感じます。名前を借りて政策秘書として登録すれば、国から給与分の金が支給される。秘書業務としては実際はほとんど何もしてもらっていないわけなので、一応名前使用料として5万円を払って残りは事務所の他の経費等に充てる。言っちゃなんですが、折角制度があるのだから、こんなおいしい手口を考えつかない方がおかしい。その点から考えると、同じことをやっている議員はゴマンといるでしょう。私は具体的にどの点がどういう罪になるのかわからないし、ひょっとしたら現在の法律では罪にはならないのかもしれない。でも感覚としては確かにおかしい。それは疑う余地がない。法律なんて完全無欠なものではなく、ほとんどにおいて抜け道があるのでしょうが、政治家がそれを利用するのはやはり納得し難いものがあります。いくら考えついても、実際にやるのはまずい。小市民の財テク(結構死語)じゃないんですから。そういう意味では、政治家は諸々の誘惑が多く、俗人には無理な仕事です。やはり聖職者であるべきなのでしょう。

2002年3月24日(日)

 観光スポットが少ないシンガポールにあって、シンガポール動物園は観光地の横綱的な地位にあります。今日は私が子供達の世話役だったので、久しぶりに動物園に行ってきました。去年の10月に会員期限が切れて以来行ってなかったので、少なくとも5ヶ月振りになります。私ひとりで子供の相手をする時は動物園は定番で、とてつもなく広いこともあり、ここに行けば適当に動物見たり象に乗ったりして4〜5時間程度は余裕で潰せます。しかもお金もあまりかかりません。

 今回も折角だったのでまた会員になってきました。1年間有効で家族4人で85ドル。単発で行けば4人で34ドルなので、3回目で元が取れる計算になりなかなかオトクです。つまり4回目からは実質タダ。去年は軽く10回以上は行っていると思う。おかげで今ではどんな動物がどこにいて餌付けは何時頃にあって、自販機はどこにあるかまでかなり詳しくなりました。会員と一緒に行くと25%オフになるバウチャーもありますので、シンガポールに来て動物園に行きたい方は一声かけて下さいね。

2002年3月17日(日)

 もう先週の話になりますが、バンコクへ行ってきました。仕事じゃないです。金曜日の仕事が終わってから出発して日曜日までの週末旅行。空港が近いからこそのスケジュールです。いつも空港に着くのは出発の45分〜1時間前くらいなのですが、今回はひどかった。なんと15分前。インターネットでチェックインしてあったからよかったけど、普通なら完全にアウトでしたかね。ネットのチェックインでも、「45分前までにカウンターに来なかった場合は置いていきます」とあるので十分アウトには近かった。空港職員にはお小言を言われましたが、それでも通してくれるのはチャンギ空港ならではでしょうか。他の空港だとたぶんマジでアウトだと思います。

 バンコクに行くと必ず訪れるお寺があるのですが、何度行ってもその絢爛豪華さに圧倒される。実は私は知識もないくせに結構寺院巡りが好きだったりします。アユタヤの遺跡もいいのですが、現役のお寺には現役のパワーが漲っている。たまたま夕方などに行って、観光客の姿がまばらになってきた頃、本堂で目にした読経の光景。ほの暗いけど暖かみのある灯明の中で金色の仏像を前に揺れる100近い袈裟の橙色と、それを包み込む読経の荘厳な響きは、もともと表現力の乏しい私にはとても言い表せないほど心に染み入ったものです。

 雨季入り前でまだ本格的には暑くならないこの季節、ボートに乗ってチャオプラヤ川の風に吹かれながら、王朝絵巻に思いを馳せつつシンハビールをあおるには最高ですな。

2002年3月7日(木)

 今日は月次決算と実績見込と最終期間計画の提出日。トリプルパンチ。死んだ。

 しかし、そのような一見忙しそうな時期にもかかわらず、某財閥系損害保険会社の統合記念カクテルパーティなんかに行ってきました。不思議とそういう時間はあるものです。場所はいかにも高級そうなシャングリラホテル。しかもホスト側は日本から会長と社長を呼んですごい気合が入っている。たまたまうちの社長がカンボジア出張中で不在だったとは言え、私ごときがそんなところに行っていいのかと思いつつ出向いたのですが、行ってみればそれなりに知ってる人がいて、その方がまたいろんな人を紹介してくれたりして、それなりに有意義な時間になりました。

 先方の担当の方から、会長と社長に是非お目にかかってください、と連れて行かれそうになったのですが、いえいえ、私のような一介の元モトクロスライダーが出る場面じゃございませんとお断りしたのですが、本当のことを言うとそれまでにいろいろな人に引き合わされて挨拶したため、名刺が無くなってしまって、すごくカッコ悪くなりそうだったのでやめたのでした。

 会場は立食で、寿司コーナーもあったのですが一番列が長い。予定時間を半分も過ぎた頃に列が短くなってきたので並んだら、なんと私の前の人でネタ切れ。まあ、そういうもんです。

2002年2月26日(火)

 気が付いたらオリンピックが終わってました。おかげさまで、日本人選手の活躍ぶりを動画で見ることはついぞなかった。NHKでは一応、日本人選手のその日の結果を伝える「ソルトレークシティー2002」という番組が毎日あったのですが、全部静止画。海外サッカーや大リーグでもそうですが、NHK等日本のテレビ局は日本国内での放映権として、そうしたメジャーゲームの放映権を買うわけですので、日本国外で放送した場合、その国の放映権を持っている放送局の権利を侵害することになるのでそうです。もっともらしい言い分ですが、一般視聴者にしてみればそんなの屁理屈でしかない。動画を放送できなくて何が放送局だ、ってなもんです。

 シンガポールでも放映権を持っていた放送局は当然あるのですが、たまにチャンネルを合わせても巡り合わせが悪くてやっていたためしがない。国民的関心の低さというものがありますから、日本で見るようにはいかないですね。やっぱり冬季オリンピックは南の国々と貧乏な国々には縁がない。夏の競技と違って何するにも、道具から遠征からカネがかかりますからね。

 とにかく全く動いているオリンピックを見なかったわけですが、せめてもの救いは、日本勢が振るわなくてたぶん盛り上がりが今ひとつだったこと、というのも皮肉ですね。

2002年2月17日(日)

 なんとブリスベンからの帰りの飛行機の中に読みかけの文庫本を忘れてきてしまいました。到着が朝5時半頃で昼近くに気付いてシンガポール航空に電話したのですが、その便の忘れ物の中に本は無かったとのつれない答え。シートポケットの奥深くだったから気付かれなかったのでしょうか。うーみゅ、面白い本だったんですけどねえ、残念です。ちなみに本のタイトルは『血族 アジア・マフィアの義と絆』で、中国の秘密結社洪門(ホンメン)を題材にしたノンフィクション。

 こっちに赴任してからシンガポールが舞台に含まれている小説を少々読んでいるのですが、戦中戦後の話が多くて旧日本軍が行ってきたことなどを知るにつけ、なんかどんどんシンガポールにいづらくなるような気になってきます。連合軍が正しかったということではないですが、旧日本軍が正しくなかったことも事実なのでしょう。シンガポールが舞台になった小説の中では、映画にもなった村上龍の『ラッフルズホテル』は私には何が何だかさっぱりわからず、よくこんな抽象的な物語が売れたな、って感じで我慢して読み切った数少ない本です。

2002年2月15日(金)

 あっという間にオーストラリアも最終日。今日はほとんどビーチと部屋で過ごしました。先日遊んだブギーボードは人のモノだったので今回はわざわざ買う気にもならず、娘と浮輪で波乗りを楽しんでいたのですが、帰りにふと見ると、おっさんが一時間5ドルでブギーボードを貸していた。早く気付けよ。

 今夜12時15分のフライトでシンガポールに帰ります。空港でレンタカーを返す場所がちゃんとわかるかどうか不安です・・・。

2002年2月14日(木)

 ゴールドコーストの三大テーマパークというのがあって、一昨日行ったドリームワールドとムービーワールド、シーワールドを指して言うのですが、今日はムービーワールドに行ってきました。これはその名の通り早い話が映画村で、ワーナーブラザーズの映画をテーマにしたアトラクションやショーを楽しめるところです。

 ここで見たかったのはポリスアカデミーのスタントショー。パトカーに火をつけたらガソリンに引火して爆発して横転したり、ヘリコプターが銃弾を受けて爆発したりというのが目の前で繰り広げられる。もちろん、何度も使うものですから本当に爆発して木端微塵になったり壊れるわけじゃないんですけど、大迫力です。ショーのストーリー自体は非常にコミカルで笑えるし、客が入場し始めてからショーが始まるまでの30分少々も、会場警備員に扮した芸人が何かと笑わせてくれるので退屈しない。見せることをよく考えています。まさに期待通りのショーでした。

 逆に期待外れだったのがハリーポッターのマジカルなんとか。映画のセットと同じように作られた街並をガイドの説明を聞きながら歩くだけという、一種の映画ツアー。20分以上待ちになるほど人が並んでいる意味がさっぱりわかりませんでした。まあ、皆さん出てきたときは、多かれ少なかれ時間の無駄だったと思っているかもしれない。

 このテーマパークでも中国人の団体客が非常に多かった。シンガポールや香港あるいは中国本土から中国正月を利用して来ているのでしょう。日本人の団体ってほとんど見ません。たまに見ても中高年のツアーだったりして、だいぶ日本人も旅のスタイルが変わってきたのかなという印象。まいっちゃうのは、中国人の団体って喋り好きな上に老いも若きも男も女も声がでかいから、とてもうるさい。しかも割り込み当たり前。どうにかならんのか。

 明日の深夜の便で早くも帰国。最後にきてちょっと身体の具合が悪いです。飲み過ぎと寝不足なので自業自得ですけど。

2002年2月13日(水)

 ゴールドコーストのビーチは北からメインビーチ、サーファーズパラダイス、ブロードビーチに分かれていて、一番賑わっていて私たちが滞在しているのがサーファーズパラダイスです。ここのビーチは名前が表すとおり波が年中高くなっています。そんなビーチでサーフィンやパラセイリングをしたいところですが、残念ながら道具と心得がないので、今回は心得がなくても楽しめそうな借り物のブギーボードで遊びました。これがなかなか面白くて、しかも疲れる。結構すぐに慣れて、ひょっとして私はサーフィンをするために生まれてきたのかもしれない。海はかなりの遠浅で子供も割と安心して遊べます。

 夕方からは洞窟に住む土ボタルを見物にニューサウスウェールズとの州境付近のナチュラルブリッジまで行きました。洞窟の中はまるで星空のように蛍が青白く輝いていて、それはそれは幻想的。まったく、オーストラリアには変わった動物がいっぱいいるものです。ここの洞窟は、駐車場のかなり下にあって、ルートは周遊ルートになっていて普通は一気に階段を下りて徐々に登ってくる方向でルートを辿るらしいのですが、何を考えたか我々は逆向きで行って、最後に階段の急登を登る羽目になった。その途中で日本語ツアーの一団とすれ違ったのですが、私たちをやり過ごしたあとそのガイド氏は、「このルートは逆周りで行くとここで非常に辛いんですよ」とご丁寧にツアー客に説明していた。聞こえるぞ、おい。

 それにしても、メルボルンのペンギンパレードツアーもそうでしたが、現地ツアーっていうのはどういうわけか価格が異様に高い。土ボタルツアーは夕食込みで家族四人で400ドル(28,000円)もする!私たちはレンタカー代70ドルと懐中電灯3ドル、そして居酒屋での夕食80ドルの合計153ドルで済んだ。これにガソリン代も入りますが、それにしてもツアーは高い。儲かっているんだろうなあ。

2002年2月12日(火)

 ゴールドコースト郊外にあるテーマパーク「ドリームワールド」へ開園と同時に入場しました。レンタカーだと非常にラクです。ここで今回私のやるべきことは、コアラを抱っこすることと絶叫マシンのどれかに乗ること。

 コアラの抱っこは軽く1時間並んで、昼過ぎにクリア。私たちが終わった頃には順番待ちの列がほとんど並んでいなかったことから、私たちは一番混雑する頃合を見計らって並んだようです。その他大勢の人と考えることが大体一緒だったということでしょう。コアラの抱っこには身長制限があって、何センチ以下か忘れたけど、とにかくうちの子供は抱っこすることができませんでした。結構重いし、しがみつくために肩に意外に鋭い爪を立てるのでちょっと痛い。でもやっぱりすごくかわいかったですね。

 絶叫マシンは、時速160キロのスピードで垂直の塔を115メートルまで駆け上がり、そのまま後ろ向きでバック、つまり落下するというシロモノに乗りました。115メートルという高さはビルの38階に相当するそうですが、下を見れるわけではないのであまり高さ自体は実感できません。加速Gと垂直の塔がすごい勢いで迫ってくる恐怖、そして落ちる瞬間の無重力感を楽しむマシンですね。終わった後、胃が上がっているような感じでちょっと気持ち悪かったですけど。

 あと、同じ塔を使って更に高いところまでリフトでゆっくり昇っていって、そのまま自然落下というマシンもありますが、頂上で待っている時間というかタメの時間がかなり長く、異様に怖そうだったからというわけじゃないのですが、残念ながら時間がなくて乗れませんでした。

 夕食には日本食屋に行ったのですが、そこのウェイトレスはシンガポールでは考えられないことに全員日本人でした。しかも若い。たぶん、ワーキングホリデーを利用してきている人たちかと思いますが、これがまた揃いも揃って愛想が悪い。自分たちの勤務時間が終わって私服に着替えると、客が店を出て行くのを間近で見ながらありがとうを言うでもない。所詮学生のバイトです。それに比べるとシンガポールの日本食屋はシンガポール人が接客するので日本語が通じないというの点はありますが、結構愛想よくしてくれるし、マメにお茶のチェックとかもしてくれる。どっちが気持ちよく食事できるかは明白ですな。

2002年2月11日(月)

 午前中にメルボルン市内をちょいと見物してから2時のフライトでブリスベンへ来ました。飛行時間は2時間ちょっと。メルボルンのあるビクトリア州とブリスベンやゴールドコーストのあるクイーンズランド州は基本的に同じタイムゾーンですが、ビクトリア州だけがサマータイムを採用しているために、ブリスベンに着いたら時計を一時間戻さなくてはなりません。

 出発前にメルボルンでは、セントポール大聖堂と旧メルボルン監獄を見てきましたが、ちょうどセントポール大聖堂では、二人の内少なくとも一人が日本人というカップルの結婚式が行われるようで、まさに新婚さんが馬車で到着したところでした。参列者らしき人の中に日本人女性が何人か見えたので、少なくとも新婦は日本人なんでしょう。それにしても参列者が少なかった。ひょっとしたら二人とも日本人のカップルで、特にメルボルン在住というわけではないが、なんとなくオーストラリアで挙式したかったので新婚旅行がてら来たというのがホントのところかもしれない。それなら参列者が数人しかいないのも頷けるし、新郎側の参列者らしき人が見当たらなかったの合点がいく。まあ、海外の教会で挙式したいという気持ちも解らなくはない。

 ブリスベンの空港でレンタカーの手続きをして空港の外へ出てみると、とても同じ国とは思えないほど暑い。まさにリゾートへ来たという感じです。ブリスベン空港からゴールドコーストまでは片側三車線の高速道路で混雑もなく大変走りやすい。標識も見やすく初めてでも不安はほとんど感じないのですが、眼鏡を忘れてきてしまったので間近に行くまで標識が読めず、その点が唯一にして最大の不安材料。レンタカーは三菱のマグナ(日本でいうとエテルナあたりか)で保険料込みで一日71ドル(5,000円弱)と割と安い。バスやタクシーが意外と高いこの地では、家族四人で移動するには使い方にもよるけどレンタカーの方が結構オトクかもしれません。

 ホテルの18階の部屋(キッチン付の1LKアパートメント)からはサーファーズパラダイスのビーチが眼前に広がって、とても気持ちのよい眺めです。

2002年2月10日(日)

 昨夜妻子をホテルに残して一人でホテルのすぐ目の前の巨大カジノに行ってスロットでせこく遊んで2時に帰ってきたので、今朝は非常に辛かった。子供たちも時差が3時間あるため昨夜はなかなか寝なかったようで、やはり起床は相当辛かったようです。3時間の時差は想像以上に影響がでかいですね。

 遅い朝食を済ませたあとは、買い物に行きました。お、私にしては珍しい、という行動ですが、夜のペンギンパレードツアーに申し込んだところ、とても冷えるので温かい服装が絶対必要、って言われたので、ゴールドコースト仕様で衣類の準備をしてきた私たちは慌ててトレーナーなどを買いに走った次第です。語学留学でメルボルンにいる甥に案内してもらって、デパートで軽く買い物をしたついでに一緒に昼メシを食べました。ホントは夕メシを一緒に食べられればよかったんだけど、ペンギンツアーに行く私たちの帰着は夜11時になるということなので夕メシは無理でしたから。

 メルボルンの街はオーストラリア第二の都市とは思えないほど静かな印象があり、デパートなども日曜日とは思えないほど人が少なかった。でもこれは別に不景気ということではなく、日曜日は外出せずに家で家族と過ごす人が多いせいじゃなかろうかという、かなり高度な議論をタクシー運転手としました。建物は石造りの重厚な物も結構残っていて、そういう中を何本もの路面電車の路線が走っているという、なかなか趣のある街並であるといえます。イギリス的、とでも言うんでしょうが、イギリスには行ったことがないので確かなことはわかりません。

 ペンギンパレードツアーは、メルボルン郊外のフィリップ島に行って日没とともに陸に上がるペンギンの群れを見るというものです。この島は二輪好きの間では世界GPが開催されるサーキットがあり、そこではシーズン前に各ワークスチームのテストが行われるということで有名ですが、世間一般ではペンギンの島として有名です。ペンギンの中でも最小サイズのフェアリーペンギンが砂浜に打ち上げられるように上陸して、そのまま内陸に向かって10数匹から数十匹の集団で歩いてくる様は非常に可愛らしい。ペンギンってどこの水族館に行っても必ずいるので、あんまりありがたみがないような気がしますが、野生のペンギンを見れるのは南半球だけだということを思うと、それなりに高い料金を払う価値はありますな。

 フィリップ島に行く途中で動物園にも寄ったのですが、そこはカンガルーやエミューに餌付けしたり、ウォンバットを抱っこしたりできるなど、以外に印象に残るレアスポットでした。3メートルも4メートルもあるような巨大ミミズのコーナーは余計でしたけど。

 ところで、メルボルンのセブンイレブンにはアルコール類がないようです。タクシーではリアシートの乗客もシートベルトを締めることが義務付けられていたりと、結構ビクトリア州は規制が厳しいようです。そういえば、大人3人、子供2人の5人でタクシーに乗ろうとしたら、そのタクシーは乗車定員が5人だったらしく、幼児もきっちり2人とカウントされて定員オーバーで乗せられない、と断られました。規制の厳しさをうかがわせます。一般的に規制が厳しいイメージのシンガポールの比じゃない。シンガポールなんかイメージ先行で実はかなりテキトーだったりしますから。でも嬉しいことに、5人を乗せられるタクシーをその運転手が見つけてきてくれました。プロですな。

2002年2月9日(土)

 出発予定時刻の1時間前になって慌てて家を出たら、出発が30分遅れていました。幸か不幸か。シンガポール航空(SIA)はなかなか気の利いたサービスをしていて、定刻の30分前から数時間前の好きな時間に携帯電話にメッセージを送ってくれます。それで、出発時刻が変更になったことは空港に着いた時にメッセージが来た。ちょっと遅かったですね。

 ここでちょっとトラブルがありました。息子のチケットの名前がKUWABARAじゃなくてKUWARABAになっていた。ワとバが入れ替わっていたんですな。それで、パスポートやビザと違う、ということになってちょっとチェックインの時にごたごたしました。オーストラリアのビザは電子ビザになっていて、チケットとリンクしてオーストラリアの入国カードがビザデータと照合されて自動発行されるのですが、それがエラーになって発行できなかった。手書きのカードで対応できたのでいいのですが、大規模な情報システム化はこういう時に慌てさせますね。マニュアルだった時代なら、「あー、間抜けな間違いしちゃって」で済むのが、いろいろ余分な処理をしなくちゃならなくなる。まあ、大きな問題にもならず、結局入国できたので結果オーライですが、正直言って焦りましたね。ここで、「搭乗できません」なんて言われたら恐ろしい。

 シンガポールからオーストラリアって、地図で見るとなんか近い感じがします。実際、西側のパースまでなら4時間くらいで行ける。ところが、私が今回入ったメルボルンは東側にあり、シンガポールから6時間半くらいかかりました。さすが大陸です。

 入国審査は特別面倒というわけではないのですが、なぜか長蛇の列でまるで成田みたいでしたね。しかもややこしいことに、二個預けた荷物が、別々のターンテーブルから出てきた。最初に一個受け取って、もう一個が出てこないなー、って思ってとなりのターンテーブルを見たらそこでぐるぐる回っていた。さすがオーストラリア、と妙な納得のしかたをしました。

 タクシーはシンガポールに比べてかなり高い。空港からホテルまで30分程度乗って約2800円。シャカシャカとメーターが上がっていくのでドキドキしました。

 今日はとりあえず、移動だけです。事実上の旅行は明日からです。でもどこ行くかまだ決めてないんだよなあ・・・。

2002年2月8日(金)

 来週は一週間「中国正月」ウィークとなります。カレンダー的には毎年変わりますが、今年は12日と13日が祝日に制定されています。去年は一月の終盤でした。で、実際はどこの会社も一週間ほとんどまるまる休みになります。そういう意味では1月1日しか祝日はないけど一週間くらい休む会社が多い日本と同じですね。

 シンガポールは周知のように非常に近代化された国家ですが、正月は西暦正月よりもそれぞれのエスニックの正月の方を盛大に祝います。というか、ほとんど西暦の正月はなんにもありません。その中でも、ひときわ盛り上がるのが中国正月。国民の70%以上が中国人なんだから無理もありません。でも、シンガポールは爆竹は禁止です。「いかにも」って感じですね。この時期にシンガポールに来ても旅行者はあんまり楽しめないようです。商店とかレストランとかがほとんど休みますから。

 日本人はかなりの人が旅行に行きます。私の勤め先の例でみると、半分が日本へ、もう半分が近隣諸国へ、って感じです。当然飛行機は日本の年末年始と一緒で結構取りにくいですね。でも値段が跳ね上がったりはしません。良心的です。シンガポール人にももちろん旅行に出かける人もいますが、私の周りではあんまりいないようです。家で家族や親戚と過ごすのが一般的みたい。それに学童がいる家庭は、学校は休みじゃないので子供を休ませてまで旅行に出かけるということはしないようです。

 マレーシアから出稼ぎに来ている中国人も一斉に国に帰るので、盛り場も静かになることでしょう。

 明日からオーストラリアです。できるだけこのページに逐次様子をアップしていきたいと思いますので、ヒマな人は楽しみにしていてください。

2002年1月27日(日)

 またしても外務省は大臣を中心にゴタゴタを起こしていますね。もう本当にいい加減にしろというか勝手にしろというか、国民はまた茶番が始まったくらいにしか思わない。私が選挙権を持っている選挙区選出の外務大臣ではあるが、彼女に投票しなかった自分は我ながら偉い。

 さて、私が「選挙権を持っている」と現在形で表記したのは、文字通り今現在「選挙権がある」からです。私もこちらに来るまで知らなかったのですが、外国にいても在外選挙人登録というものをすれば、出国直前に住民票があった地域での選挙権がそのまま継続される制度があるのです。したがって、私の場合は新潟5区の選挙人としての資格があるわけです。ただし、これは国政選挙に限ったことであって、自治体の首長選挙や議会選挙には選挙権はありません。もっとも、そういうミクロの選挙になると情報も乏しいし投票のしようもないので、選挙権をくれると言われてもいらない。

 どのように投票するかというと、現地(海外)での投票と郵便投票の二種類がありますが、シンガポールは郵便投票だけになります。立派な大使館なり日本人会館なりがありながら不思議なのですが、郵便がかなり信頼できることと日数がかからないことから、大使館職員の手間を考えると郵便投票に絞った方が合理的ということかもしれません。

 で、次の国政選挙は参議院新潟選挙区の補欠選挙が4月にありますが、これに同級生が出馬することになった。まあ、参議院が今の日本の舵取りにとって、どれほどの存在価値があるかどうかは議論のあるところですが、少なくとも今の憲法の根幹である議員立法制を支えている重要なファクターではあるわけですから、義理に流されず慎重な判断をしたいと思います。と言いつつ、昨年の参議院選挙の時は、郵送が間に合わなくて投票できず(決して棄権ではない)という辛酸を舐めているだけに、今回もその恐れは十分にある。なんてったって、選挙カーが来ないので、気が付くと選挙期間が終わってる。

 今週は水曜日から日本に行きます。これで11月から3ヶ月連続。しかも全部新潟にも帰ってる。よほど東京その他日本国内に居住している新潟出身の人より新潟に帰ってるような気がします。

2002年1月20日(日)

 先週から今週にかけて小泉首相がASEANを歴訪していましたが、最後に寄ったのがシンガポールでした。で、月曜日の朝、会社へ行くとトレーの上に「小泉首相講演会参加申込書」なるものが載っていた。日本にいれば総理の話を直に聴けるのは国会議員か政治記者くらいなものでしょうから、これは会社をぶっちぎって行っとく価値はあると思い、よく読むと前週の金曜日で締め切られていた。しかも講演会が始まるまであと一時間もないタイミング。元来きっちりした性格でない私は、トレーの書類にすぐ目を通さず山のように積み上げがちなのですが、この時ばかりはそんな性格が悔やまれました。

 で、その折に日本・シンガポール間の自由貿易協定が締結されたわけですが、日本にとってシンガポールは締結しやすい相手だったはず。なぜかというと、シンガポールからはほとんど農産品を輸出していないからです。これが、農産品を大量に輸出している国相手だったりすると、相手国からは農産品も含めて自由化にするべきだと迫られ、国内からは日本の農業を潰す気かと罵られ、とても難しい展開になるのは目に見えている。その点、シンガポールはほとんど農産品がないことから、農産品を対象外とする条項を付けてもシンガポール側はほとんど困らないし、日本での抵抗もない。まあ、言うなれば不完全なFTAであり、事実、アンフェアな協定との批判もあがっているようです。

 では直接的に消費者にどういう影響があるかというと、シンガポールから日本へコンシュマー向けに輸出されているのはあんまりなさそうだから、日本の消費者が直接メリットを感じることは少なそう。シンガポールではどうかと言うと、これがまたもともと自由貿易国だからそれほど課税物品があるわけではなかったのですな。でもその数少ない課税物品の中にビールがあった!したがって今後は日本のビールは非課税になるわけです。とは言ってもシンガポールにおける外国産ビールの関税など微々たるもので、大部分が酒税ですから飛躍的に日本産ビールの消費が増える、ということはないでしょう。それになんてったって、ビールは地場物が一番美味いですから。

2002年1月13日(日)

 シンガポールでアルカイダと関連のあるテロリストが15人逮捕され、ほぼ同じ時期にマレーシアでも13人が逮捕されたとの報道がありました。報道によると、彼らはアメリカ大使館その他のアメリカ関連施設を狙って爆弾を用意していたとらしい。今までシンガポールはテロリストと無縁とまでは言わなくても、かなり他人事のような雰囲気があっただけに、結構ビックリする出来事でした。

 で、シンガポール人の行動にその影響はあるかと言えば、それはなさそうです。逮捕されてより安全になった、くらいのことを考えているかもしれません。かく言う私もそう思っている一人ですけど。父親がそのニュースを見たらしく電話があって、そっちは大丈夫なのかと聞いてきたから、多数潜伏しているはずなのに一人もテロリストの逮捕者がでていない日本の方がよっぽど危ない、と答えておきました。

 9月以降の国別のシンガポールへの観光客数で、アメリカ以外で極端な減少を示したのが日本でした。今回はハイジャック機での自爆という極めて特殊なケースでしたが、一般的に海外でちょっとした事件事故があると、多くの日本人は十把一絡げにして「やっぱり外国は危ない」と思う傾向がある。でも足元の日本はどうかというと、ここ最近の報道を見る限り決して安全とは言えなくなっている。海外渡航に慎重になるのは一つの確実な危機管理の手段ですが、もっと大事なのは足元の危機管理ではないでしょうか。個人の危機管理、いわゆる自己防衛という面で見ても、海外の事件事故に敏感に反応する割には、相変わらず海外でカモられている人がたくさんいるのですから、なんか皮肉な話です。

2002年1月6日(日)

 今回の紅白は残念ながら見れませんでした。その時間はまだ会社のみんなと忘年会の真最中でしたから。当社の駐在員が多数入居するコンドミニアムで開催されたのですが、男達は大酔払いになるわ、子供たちは夜中にみんなでプールで泳ぐわで大変盛り上がった忘年会となりました。途中、台北から電話がかかってきたが、むこうは細々と四人ほどで呑みに行ってたようでした。

 正月気分もないまま、1月第一週を終えたわけですが、旧正月の飛行機を予約するのに翻弄されました。ゴールドコーストに行きたいのですがさすがに混んでる。どこでもいいからSQでオーストラリアのゲートウェイまでということで予約を入れていたら、とりあえずメルボルンが取れました。メルボルンには甥が留学していて、一度は行っておかないとならないかなと思っていたので、まあちょうどよかった。

 さらに調べていて驚いたのが、国際空港のある都市からエヤーズロックまでの国内線が、国際線以上に高いことでした。オーストラリアに行ったらやっぱりエヤーズロック、って思っていたのですが、あまりの高さに敢え無くギブアップ。ゴールドコーストでゆっくりと過ごすことになりそうです。