2001年9月30日(日)

 金曜日にエア・サプライのコンサートに行ってきました。特に好きでよく聴いていたというわけではないけど、まあ、タダでチケットが手に入ったものですから。さすがに往年の大御所だけあって、聴いたことのある曲もありましたが、それよりなにより、あんまり年寄りでたまげた。でも声は相変わらず素晴らしく、歳を感じさせませんでした。

 会場は、劇場やホールじゃなくて、見本市や展示会等で使うシンガポールエキジビジョンセンターという、サンテックシティの一角にある大きいスペース。1万人近くは入ったんじゃないかと思われますが、よくわかりません。少なくとも、その昔長岡であった松本伊代のコンサートの比ではなかった。

 トークっていうか、MCは当然英語なので、笑うタイミングをちょっと逸したりして哀しかったりしますね。日本でもよく外人さんのコンサートがあるわけですが、笑わす場面では会場の何割くらいの笑いを取れるんでしょうかね。

 英語といえば妻が最近、教会でやっているという無料の英会話教室に通っているのですが、シンガポール人のお年寄りも何人か参加しているそうで、その人達は聴くことに関しては全く問題なくて、話すにしてもシングリッシュながらちゃんと思っていることを十分伝えられるのですが、読み書きとなるとまったくお手上げらしい。ちゃんとした英語教育を受けたわけじゃなくて、家族などの身近な若い世代が使うのを聞いて身に付けたんでしょう。そう思うと、日本の英語教育ってなんだかな、って感じですね。

 でも聞いたり喋ったりができるのが、シンガポール人なら当然かといえばそうでもなくて、そんなに年寄りじゃない世代にも母語しか使えない人(中国人の場合は母語じゃない中国語も使える人も多いようです)もいっぱいいる。ホッカーセンターなんかでそういう人に当たってしまうと結構大変です。いつ何時そういう場面に出くわしてもいいように、紙とボールペンは必携ですね。

2001年9月23日(日)

 この一週間は何度か空港に行く機会がありましたが、思ったより荷物チェックなどは厳しくなかったようです。航空会社は出発の3時間前(通常は2時間前)には空港に着くようにアナウンスしていましたが、その通りに行くと途方もなく時間を持て余すことになったようです。もっとも、アメリカ行きの飛行機や米系航空会社の場合はこの限りじゃないかもしれませんね。

 先ほどバレンシアGPをTVで見てました。250ccは加藤と原田の2人の日本人がチャンピオン争いをしている。原田はヨーロッパラウンドになってから一気に調子が上向いてきたようで、昨シーズン500ccで走っていたときとは別人のよう。世界チャンピオンになってアプリリアに移籍してからの不遇を思うと、やっぱり加藤より原田に勝ってほしいという気持ちで見てますが、加藤の速さを凌ぐのは相当難しいようですな。

 10月中旬にはマレーシアGPがあるのですが、海外渡航の自粛が言われている昨今、プライベートな渡航はもっと難しい。日本にいれば社員が休日にどこに旅行しようが、あんまり知ったことじゃないですが、海外にいるとその辺も含めた危機管理を意識しなくてはいけないので、ますますテロリストが恨めしくなる。

 来年の旧正月はオーストラリアを狙っていたのですが、この分だと無理かな。本当なら今頃は予約を入れなくてはいけないのですが、そんな理由でキャンセルの可能性も非常に高く、いろいろ考えると予約する気もなくなってきます。いずれにしても、この緊張が短期で終わることが世界中にとってハッピーだということですね。

2001年9月16日(日)

 本当に今年は予想もつかないことが起こる。9月11日は結婚記念日だったので家族と何故か焼肉屋でテレビを見てました。と言っても、音声は私の席にまで届かなかったので、ドキュメンタリーか何かと思っていてライブだとは夢にも思わなかったのですが、家に帰ってきてテレビをつけてぶったまげたという次第。

 後で聞くところによると、自宅以外の場所でこのニュースを聞いた人がかなりいたことが判明しましたが、平日の決して早いとは言えない時間に、ここの駐在員は何やってんだか・・・。私の理由については我ながらなかなか褒められたものですけど。

 事件後は私の所属する会社も多くの日系企業同様、当面のあいだの飛行機への搭乗が禁止となりました。たまたま普段よりも、出張に行っている人または出張してきている人が多かったので、ホテルの変更やら飛行機の変更やらでドタバタでした。まあ、ホテルや航空会社、旅行代理店のほうはもっと大変だったでしょうが。そんな中で、運輸関係の会社の人は口を揃えて、「うちは従業員も貨物と一緒に考えてますから、禁止や自粛なんて一切ありません」と言ってました。「それは自由でうらやましい」と、わけのわからない返事をしたりして。

 アメリカの一部では、ムスリムやアラブ人に対する無意味な攻撃が見られるようですが、アメリカ同様大勢のムスリムやアラブ人がいるシンガポールにおいては、私の見る限りそういったことはありません。もっとも、被災国とそうでない国という根本的な違いはありますが、その場の感情の昂ぶりによって民族差別、宗教差別が蔓延するのは非常に怖い。今回のテロについても、テロリストの次の狙いはアメリカの過剰報復行為にあるという説もある。過剰報復→国際社会からの非難→アメリカの孤立、という図式。この説の信憑性はともかく、報復に熱くなるあまり関係のない人まで巻き込むのはそれこそテロに匹敵する行為であり、国家レベルでも個人レベルでも努めて冷静な行動をとるべきでしょう。

 いろんなメディアがウェブ上でテロ関連の特集記事を掲載していますが、写真特集では The New York Times が充実しています。いろんな意味で迫力のある写真が多い。

2001年9月9日(日)

 うちのかーちゃんのお友達の方々5家族で、バーベキューをやったのですが、とーちゃん連中は会社つながりでもなんでもないので知らない人同士でどうしたもんか(お、久々に洒落てる)と、人見知りの激しい私はおっかなびっくり近くのコンドミニアムのBBQピットまで出かけていきました。偶然にも私の同僚の方がいまして、その点については事なきを得ることができました。ただもうひとつ、そもそもどうやら奥様方の提唱によりこのBBQが企画されたらしいということが今ひとつ腑に落ちなかったのですが、これも行って暫くすると判明した。

 BBQ奉行とでも言いますか、まあ、好きなんですな、野外料理が、というご主人がいらっしゃいまして、その方がかまどの方を仕切るから、自然、なんとなくとーちゃん連中はその周りで切ったり焼いたり盛ったりしながら立ったままビールをチビリチビリ、というかグビグビやるわけです。

 もちろん私はそれほど殊勝じゃないので飲むことに専念させてもらっているのですが、それはともかく、そうなると当然の結果として、奥様連中は子供達と一緒にテーブルについて食べているだけでいいという事態になる。しかもそのうち、子供はじっとしていられなくなって、焼いたりなんだりしている(フリをしている)父親のところにまとわりつくようになってきて、ますます奥様達は食事とチャットに集中できるという、恐るべき循環が成立するのでした。

 こっちは基本的には酒さえ入っていればご機嫌なので、全く問題はないのですが、やられた、って感じでしたな。そういえば以前ある方がおっしゃてました。「今度生まれてくる時は駐在員の妻になりたい」と。なかなか深い言葉です。

2001年9月2日(日)

 8月の中旬以降、シンガポールではハングリーゴーストと呼ばれる行事がそこかしこで行われます。この時期に現世に蘇る死者の霊魂に対してお供えをするという意味では日本のお盆と共通するものがありますが、お盆が先祖の霊魂を迎えるような意味合いであるのに対して、ハングリーゴーストは招かれざる地獄からの霊魂が現世を混乱させないように供養する意味を持っており、その点ではコンセプトが異なっています。

 イベント的には家庭単位ではなく、主に職場単位で行われるのが一般的のようです。基本的には線香や蝋燭を焚いて、果物などの食べ物とあの世の紙幣(模造紙幣で1億単位の金額の紙幣もある)を大量に供えて、みんなで昼食を食べる、というものです。

 私の勤務する会社などは最小限のことしかしないし、昼食も自分たちで作って食べるという、それはそれでいいのですが、まあ、簡素なものです。ところで今年は、倉庫が移転したのですが、倉庫が入っているビルにはそのビルのオーナー企業の事務所も入居していまして、昨日たまたま倉庫に休出した折、そのオーナー企業のハングリーゴーストイベントにお呼ばれしました。

 そうしたら、食べ物はケータリングサービスで豪勢なのが用意されているし、飲み物もジュースからビールまで豊富に揃っているし、しまいには電化製品やワイン、ブランデー等のオークションまで始まった。聞くところによるとこのオークションもこのイベントの際には一般的に行われているようで、その収益が食べ物や飲み物の原資になっているとのこと。一緒にいたうちの倉庫スタッフに、うちは日系だからやりづらいね、と言ったら、日系企業でも盛大にやっているところはいっぱいあるよ、との答えに、まあうちはケチだから、と言いかけたけどそれを言ったら身もフタもないし、何を今さらと言われるのも哀しい。

 ちなみにこのイベントは会社イベントのようでいて、あくまでも一種の宗教イベントですから、同じ会社で働いていてもマレー系やインド系の人は通常参加しません。傍目にはなんだか仲間外れのように映らないこともないのですが、異文化異宗教の共存というのはこういうことなんでしょうな。

2001年8月21日(火)

 11日から19日まで日本に帰っていました。こっちは盆休みはないので、一時帰国休暇という一種の特休を取って、盆休みなら日本から無謀な仕事の依頼とかが来ることもないし、ゆっくりできるかなという思惑で。結局、ゆっくりし過ぎるほどゆっくりして、飲んだくれてるか寝てるかのどっちかという、天国のような日々でしたな。

 それでも一応、子供と一緒にアニメ三本立てなんて見に行ったりしちゃって、しかもそれがこれ以上はないという二日酔いの時で、暗い空間で間近のスクリーンを見つつ、どでかいサウンドを聴きながら何度吐きそうになったことか・・・。子供のQooを奪って飲んだら余計に胃にきたりして、この時だけは地獄の1時間半を堪能しました。

 日本からの帰りの飛行機は、台風11号の影響で思いの外長時間にわたって揺れ続けた。雲の上に出れば全く問題ないだろうと思っていたので、これは意外だった。しかし、もっと高度を上げれば影響も少なそうなのに、勝手にそういうことやっちゃ、ぶつかるかもしれないからダメなんですかね?おかげで、夕食(機内食)がサービスされるのが遅くなったので、食べる前にビール2本とワイン2杯を飲んじゃって、ここでも休み中の生活を引きずっていた。そのうえ出されたメシは激マズ。機内食では白いご飯ものは避けましょう。

 総理は日をずらして曲がりなりにも靖国参拝をしました(この場合、賭けはどっちが勝ったことになるのでしょう?ウオマサさん)が、今発売中の「ダカーポ」で、アジア各国の歴史教科書(特に太平洋戦争前後)を特集してます。記述の具体さにビックリ。これで学べば日本嫌いにもなります。興味のある方はどうぞ。

2001年8月5日(日)

 タイのアユタヤ遺跡は世界遺産にも登録されていますが、遺跡ってホントに、読んで字の如く「跡」なんですね。有名どころの遺跡だけでも何ヶ所もあるのですが、ビルマ軍に壊滅させられたとかで、どれもボロボロ。アンコールみたいに全体の形がよくわかる、なんていうのからはほど遠い。逆にもし壊されずに残っていたら、と思うとホントに残念。どれもこれも、物凄く壮大な建築物のようでしたから。

 家族が一年ぶりに日本に帰っているので、家の中がやけに静かで落ち着きまへん。

2001年7月22日(日)

 引き続きインドネタです。

 デリーのオフィスから程近いハンバーガー屋に行ったのですが、さすがにヒンドゥー教国、ビーフのハンバーガーがない。興味津々とチキンバーガーとラムバーガーを食べてみました。チキンバーガーというと、KFCのフィレバーガーを想像してしまいますが、味は全く違って、なんとなくタンドーリチキン風味。うーむ、やっぱりインドだなあ。ラムバーガーの方はあの独特の臭みのあるほぼ想像通りの味でした。

 今回の出張で何が驚いたかって、ホテルの部屋にLANケーブルが引かれていたこと。日本はもちろん、シンガポールのホテルでもそこまでやっているホテルは少ない。電話回線の質が悪いので、その分LANで対応しようということですかね。

 で、そのホテルのラウンジバーで双子の姉妹が歌っていた。インド人っぽくない(?)かわいい顔立ち。私と一緒に飲んでいたインド人の同僚曰く、「北部インド、それもダージリンあたりの出身だ」とかなり限定した地名で言い切っていた。北部インドには美人が多いというウワサの信憑性が高まった一夜でした。

 最近はインドもCSが進んできたのか、入国時のイミグレーションの通過が非常に早くなった。日本への入国時とそんなに変わらないかも。まあ、日本もだいぶトロいほうの部類に属すと思いますが。でも出国の時は進歩してなくて、いちいち無駄なことを話しかけてくるので時間がかかる。「インドはどうだった?」とか「会社はデリーのどこらへんにあるんだ?」とか「とーきょー、よこはまぁ(意味不明)」とか聞いてきて遅々として手が進まない。しかもひどいインド訛りの英語で聞き取り困難。不機嫌な係官よりはいいんですけどね。

 先週の、「なぜ男だけでつるむか?」については、シンガポールでの知り合いがたまたま男しかいないから、ということでした。

 今週は日本から高校生の姪が来る。いまどきの女子高生なんぞどこに連れて行けば喜ぶものやらと思っていたところ、考えてみれば幸か不幸か今度の土日も先週、今週に引き続き出勤なので、勝手にぷらぷらしていてもらいましょう。

2001年7月15日(日)

 シンガポールにはインド人もけっこういるんですが、彼らの行動でなかなか特徴的なのは、家族連れを除いて、男だけのグループでつるんでいることがほとんどだとういことです。しかも5人から10人のそこそこ大所帯が多い。

 今日は動物園に行ってきたのですが、そういうグループでホワイトタイガーの前で写真を撮り合ってよろこんだりしてる。これが中学生くらいの年齢なら日本でも別に珍しくもない(そんなのも今じゃ修学旅行くらいか)のですが、20代半ば前後のいい若者なもんだからちょっと奇異に映る。で、休憩所なんかにもドカドカと入ってきて、てんでバラバラに椅子に座って大声でしゃべりまくる。その実力は中国人でさえ引いてしまうほど。

 ひょっとして実はみんな出稼ぎの人で、周囲には男しかいないから仕方なくそうしているのか。それにしちゃ、私より小奇麗な格好していたし・・・。考えてみればインドで物乞いは飽きるほど見てるのに、ニューデリーでさえ若い男女混成グループとかカップルはあんまり見た記憶がない。慣習的なのか宗教的なのか、未婚の人はグループといえども男女混合での行動には抵抗があるんでしょうか。

 インドといえば、今週火曜日の夕方からインドに行くので、そのあたりのことについて真相に迫ってきたいと思います。

2001年7月8日(日)

 昨日は七夕でしたが、シンガポールの夜はとても明るくて星はあんまり見えません。仮に見えたとしても、織姫と彦星は見られないんでしょうけど。

 特別新し物好きというわけでもないし、そもそももう新しくもなんともないんですが、日本出張した時にパームを買いました。なんというか、世界的にPDAが日常ツールになっている昨今、置いていかれるのも悔しいし・・・というのが本音。シンガポールでもPDAはかなり普及しているけど、日本語OS搭載機はさすがに入手困難なので、今回の日本出張は狙っていました。

 日本ではパームだけでなくパームOS搭載機でもクリエやらワークパッドやらあるし、他にもザウルスウィンドウズCE機など選択肢が多くて目移りしてしまいましたが、通信手段を考えたときに、私はドコモやJ-PHONEを使うわけではなくて、GSMの携帯電話を使うのですから、日本専用機はまずいということになる。そうなるとシンガポールでも最も普及しているパーム機とういことにせざるをえませんでした。

 買ってみたらメーラーやブラウザがプリインストールじゃなかった(m105)のがショックでしたが、ネットからダウンロードしたりして一応それなりに形になってきました。とは言いつつまだケイタイとの接続ケーブルを買ってないので現時点では電子手帳的な使い方しかしてませんが、普段から手帳の使い方がヘタクソでスケジュールやタスク管理が苦手な私としては、もの珍しさも手伝って使用効果はかなり大きいです。

2001年7月1日(日)

 ついこないだ紅白を見たと思ったらもう7月です。ちょうど今年も半年経ったわけですか。早いですな。この調子でいくと、40歳になるのも時間の問題(あたりまえ(^^; )。

 昨日の日経に、東京都のロードプライシング(道路課金とでも訳すのでしょうか)の記事が載っていました。都心部へ入るクルマに対して、渋滞防止や環境保全のため通行料を徴収するという考え方ですが、シンガポールをはじめ、世界的にはそれほど珍しい事ではないけども、問題となるのは対象となる規制範囲の広さだそう。シンガポールの規制区域の30倍以上だとか。そりゃ大変な大騒ぎになりますな。

 シンガポールでロードプライシングが始まったのは1970年代。当然現在のようなIT技術はないわけですから今の日本の高速道路のような料金所がいたるところにあったようです。数年前より車載発信機と規制区域入口ゲートとの無線通信に切り替わって、日本の高速道路で導入されようとしているシステムのような運用を行ってるわけですが、これを東京都の規制区域範囲でやろうとしたら膨大な投資が必要となる。なにせ、面積が広くなれば広くなるほど規制区域へ通じる道路は増えるわけで、原則としてその全ての入口にゲートを設置しなくてはならない。都ではカメラを使うなど違う方法を検討しているようですが、それもお馴染みのプライバシー云々の問題があるそうで、なかなか前途は多難なようです。

 加えて、天下の公道でカネを取るとはけしからんという意見もありますます混乱を極めそうですが、天下の公道が渋滞のため道路として機能しないことのほうがよっぽどけしからんと思う次第であり、ここはひとごとながら石原知事には頑張ってもらいたいところですな。ただし、東京都だけでは完結せず、周辺自治体の駐車場施設を整備充実させることが絶対必要条件になるでしょうけど。