2002年9月29日(日)

 ある日、幼稚園から中学校まで一緒だった幼なじみからメールが入っていました。家もすごく近所だったわけですが、なんと彼も現在シンガポールに住んでいるとのことが書いてありました。なんで私がシンガポールにいるのを知ったかというと、ウェブ同窓会と言われるこのサイトを見たということでしたが、早速一緒に飲みに行ってきました。狭いシンガポールですから急な話でもだいたい大丈夫です。たまたま私がクアラルンプールとペナンに出張だったので、空港に着いたその足で街まで行きました。

 約20年ぶりに会ったわけですが、お互いすぐにわかった。人間それほど大きく変化はしないということでしょうか。驚いたことに、シンガポールへの赴任日が私と全く同じ2000年2月14日でした。ただし私は成田から、彼は関西からということでしたので会うことはなかったのですが、なにか運命的なものさえ感じます。男同士なのが残念。シンガポールの隣、インドネシアのバタム島にも私たちとは中学時代の同級生だった男が住んでいて、たまにシンガポールに来るのですが、そのことも彼は知らなかったらしく、驚きも倍増。そんなこんなで翌日は朝から台北に行くという彼と2時近くまで飲んでいました。

 それにしても、一学年一クラスで34人学級だったような片田舎に住んでた人間同士が、遠く離れたシンガポールで20年振りに再会するというのはなかなか不思議なものを感じます。それもひとつのウェブサイトの存在があったからですが、逆に言えばこういうネット時代でなければ永遠に会わなかったかもしれない。やはりネットというのはいろいろな意味で私たちの活動様式を大きく変えているのですね。当サイトのBBSにも私の田舎に深い所縁のある方からの書き込みがありましたが、そういった方と関わりを持てるネットの力に驚く以上に、人口12,000人程度の小さな町の人たちが、何人もこのシンガポールで生活をしている(いた)ということに驚きというか世界の狭さを感じます。

2002年9月8日(日)

 こないだ表参道にオープンした世界最大規模と言われるルイヴィトンの店は、オープン当初からえらく盛況のようですね。恐るべしLVです。日本が不景気不景気と言われるようになって久しく、もはや異常気象と同じように、通常じゃないと思っていたことが段々と通常になってきて、ホントに不景気と言っていいものかどうか解らないような感じになっていましたが、こういう景気のいい話を聞くと、ますますそういう気持ちになります。不景気なんてのはマスコミや政治家が言っているだけであって、実は皆さんメチャメチャ景気がいいんじゃないですか?うちの会社を除いて。

 妻の誕生日が正月早々にある関係上、私も毎年年が明けるとこっちのルイヴィトンのブティックへ(冷やかしに)出かけるのですが、正月休みということもあって日本人で非常に賑わっています。もちろんカッチョイーLVがむやみに店内に客を入れるわけもないので、外で行列を作って順番を待っているわけですが、観光客のおばはんやおねーちゃんに紛れて一人で並んでいるのはなかなか気まずいものです。しかも時効だから言いますが、会社を途中で抜け出して来ているので、ワイシャツにネクタイなんかして浮きまくっています。しかしそんな浮いた服装も店内に入ると一変するようで、商品には目もくれず、今日はどこのカラオケに行こうかなどと店の中央で思案していると、店内を見回しているように見えるのか、「ちょっとすいません」とか「エクスキューズミー」とか客に声を掛けられます。こんな私でも浮き足立った観光客から見るといっぱしのマヌカンに見えるという、実は私はかなり品があるのじゃないかと誤解してしまうような経験もあります。恐るべしLV。

 店内で近くにいた日本人のおばはんが話していたのを小耳に挟んだのですが、「海外旅行だからクレジットカードの使用限度を100万円に増やしてきたのに、超えちゃったみたいでもう使えなかったわ〜。別のカードで買ったけど。」恐るべしLV。とゆーか、おばはん。

2002年9月3日(火)

 ここのところ、マレーシアやインドネシアでは「ヘイズ」と呼ばれる煙害が深刻になってきつつあるようです。ヘイズってのは、マレーシア領だかインドネシア領だかのボルネオ島あたりで、農作物の作付のために広範囲に渡って野焼きをしたり、それがどさくさにまぎれて延焼して山火事になったりしたときに発生する大量の煙が、視界が霞むほどに大気中に紛れてしまう現象のことで、量が多くなると健康にも影響が出ると言われていて、響きがエイズと似ているだけでなく身体に良くないという点でも決して引けを取らない恐るべきシロモノです。

 これが風向きによってシンガポールにも流れてくることがあって、そうなるとホントにすぐ近くのモノ(と言っても1km先くらい)でも霞んでしまうほどになります。まあ、毎年恒例の風物詩と言ってしまえばそれまでですが、毎年外国からさんざん抗議されても決してやり方を変えようとしない現地農民および自治体の皆様には頭が下がります。近隣諸国の反応に過敏になっているどこかの国とは大違いのゴーイングマイウェイです。ヘイズがひどくなるとたまに日本のニュースにも出るのか、はたまた海外安全情報に載せるネタが欲しい外務省が過剰に宣伝するのか、出張者から「行っても大丈夫ですか?」と聞かれることもあるようですが、退去命令が出たわけでもなく平穏に住んでる人、しかも現地人じゃなくて日本人に向かって、行っても大丈夫かとは考えてみれば失礼な話でありますね。

2002年8月18日(日)

 一週間ほど休暇で日本に帰っていました。いろいろと飲み会の予定があることもあり、そうじゃなくても実家で食べて寝る生活なので、その間にせっかく落とした体重がまた元に戻っては悲しいので、ほぼ毎日5km弱ほどランニングをやってました。シンガポールではそれ以上の距離を走っているのですが、どういうわけかシンガポールで走るよりすごく疲れる。酒の飲みすぎとか夜中に暑くて頻繁に目が醒めるので寝不足気味とかも確かにあるのですが、なにより違うのは走っているときの気分かな、という気がしました。

 日本では水田地帯の中をまっすぐに突き抜ける、農道と言った方がしっくりくるような道を走っていたので景色に変化がなく、日差しをさえぎるものも何もなくてひたすら暑くて辛かった。一方シンガポールでは住宅地(と言っても片側3車線)や海岸沿いの公園等景色に変化があるコースを走っています。特に海岸沿いのルートは10km以上に及ぶ長い海浜公園内に走路があり、その一部区間を使うのですが、散歩している人やローラーブレードの人も結構いるし、バーベキューを楽しんでいるグループとかを横目に見つつ、微妙な潮風を感じながら走る爽快ルートです。それと、シンガポールはどの道路にも枝ぶりのいい大きな街路樹が植わっていて、これがしっかりと直射日光から守ってくれるのです。

 まあ、ただでさえシンガポールより気温の高い小出の夏の昼間に、日陰一つない農道を走るのは無茶といえば無茶ですが、夜になると必ず酒の席があったし朝はそうそう起きれないしで、昼間しか走る時間がなかったのでした。でもその甲斐あって体重はキープしましたけど、あんなに辛くて現状維持ですから、もし走ってなかったらかなり悲惨な結果になっていたんでしょうな。

2002年8月4日(日)

 日本の金融庁あたりの調査で、株式投資に関する意識調査みたいなのがあって、8割を超える人が株式投資をするつもりはないという回答をしたらしい。その理由としては「知識がない」と「リスクがあるから」が33%だったかで同率1位でした。しかし考えてみると、じゃあ預金に対する知識はちゃんとあるの?ということになると、決して預金者全員が正しい知識を持っているわけじゃないと思う。それでもみんなが預金に対して抵抗がそれほどないのは、結局元本が保証されているという安心感があるからなんでしょう。

 つまり、知識がないことは投資を行う上で必ずしも制約要件にはなりえないということが言えると思います。そういう意味から考えると、「知識がない」という理由は「高リスク資産に投資するにはそれなりの知識が必要」というベースがあるわけで、結局のところ「リスクがあるから」という理由になるのじゃないでしょうか。すなわち、日本人のほとんどがリスクテイクを嫌って株式投資をしないわけです。もちろん、どんな投資でも必ずリスクは付きまといますが、今の株式市場は極端に高リスクな市場というイメージが形成されているのでしょう。

 これは日本の株式市場が成熟する上で、非常に大きな障害になると思う。個人投資家の市場参加を促進したい金融庁にしても頭が痛いところでしょう。私もやはりリスクを取りたくなくて株式には滅多に投資しないクチ。はっきりいって、いくら熱心に研究してなけなしのカネを投資しても、心無い機関投資家の意味不明の動きによって、企業の実力とは別次元で株価が乱高下する今の株式市場に投資するのは、本来の投資行動よりは単純な博打的要素の方が強くなるように思います。そんな市場に、コツコツ貯めたカネを敢えて突っ込もうとする人はそうそういるわけがない。やはり個人投資家が投資しやすい、専用の市場とかが必要なのではないでしょうか。

2002年7月30日(火)

 27日の土曜日に、お隣のマレーシアにゴルフに行ってきました。日本に比べれば安いとはいえ、シンガポール国内でプレイするのはやはり高いというわけで、当地の住民はマレーシアやインドネシアに出かけてプレイすることが多いです。今回行ったのは私の家からクルマで1時間ほどのところにあるコースでした。内容はここで書くほどのことでもないので触れませんけど。

 シンガポールとマレーシアをつなぐ橋は2ヶ所あって、ひとつは北のウッドランドからジョホールバル(JB)の市内へダイレクトに入るコーズウェイと呼ばれるルートで、もうひとつは西のトゥアスからジョホール州の片田舎へ入るセカンドリンクと呼ばれるルートです。コーズウェイの方はもう何度も行ったことがありますが、今回は初めてセカンドリンクから入りました。コーズウェイは橋を渡ってイミグレを出るとそこはJBの街なかなので、シンガポールから入ってもそれほど違和感はないのですが、セカンドリンクはいきなり椰子のプランテーションの中を貫く高速道路につながっていて、シンガポールとはまるっきり様相を異にするジャングルみたいな風景に変わります。周囲は見渡す限りの椰子の木なのでついついスピードも出がち。

 で、ゴルフの帰りに見事にスピード違反で御用になりました。110km制限のところ122km出ていたらしいです。日本の高速道路なら12kmオーバーは許容範囲ですが、マレーシアは意外と厳しい。罰金は300リンギット(約9,100円)ということでしたが、そこはマレーシアだけあって、なんと交渉で下がる。100リンギットで許してもらいました。当然これは正規の罰金じゃなくて、警官のフトコロに入るものですな。その話がまとまると警官の顔はにわかにほころび、「ドモアリガトウ」と言いながらパトカーへ帰っていきました。シンガポールでは感じることの少ないアジア的社会システムがここにはまだまだあります。

2002年7月16日(火)

 イーストコーストパークでランニングしていたら、中学生くらいの子供たちが募金箱抱えて募金活動しているのに出くわした。シンガポールの街なかでは休日によく見かける光景なのですが、こんな公園内でやっているのを見るのは初めてでした。日本の街頭募金は定点に立ってずっと同じ場所で呼びかけていますが、それとはちょっと違って、あっちこっち移動しながら通りかかった人に声をかけるスタイルです。いわば受動的募金活動に対して、かなりアグレッシブに攻め込んでいく能動的募金活動と言えます。で、ランニング中の私のところにも寄って来ました。街なかでは比較的よく募金するなかなか見上げた心がけの私ですが、さすがに財布を持ってランニングしているわけではないので、大変不本意ながら募金できない旨を告げてすれ違いました。そのまま行こうとするともう一度呼びかけられたので振り向くと、手を大きく振りながら、がんばってね!と叫んでました。こっちも思わず大きく手を振り返しました。

 中国人って、特にレジ係の人とか信じられないくらい無愛想な人が多くて、それが中国人のイメージにもなりがちなんですけど、実はこの募金の子のように通りすがりの人に対してもかなりフレンドリーで愛想のいい人が多い。特にバックパッカーのような旅行者からは、人が冷たいという理由でサッパリ人気がないシンガポールですが、住んでみると決してそうばかりではないというのが実感です。それにしても、ランニング中の人間が現金を持っていないことくらい想像できそうなものですが・・・。

2002年7月6日(土)

 ワールドカップも終わって、もうそろそろそんな環境にも慣れた頃ですが、終わった当初はテレビをつけてもなんかつまらない感じがしました。そんな人多かったんじゃないでしょうか?放映権の問題で、NHKは海外ではW杯を放送できなかったのですが、シンガポールではケーブルテレビのSCVがW杯のために空いている4チャンネルを割り当ててくれて、しかもW杯専用チャンネルなので、昼といわず夜といわず1ヶ月間ずーっと、試合を含めてW杯関連番組を見続けていました。日本では恐らく期間中NHKの視聴率は上がったでしょうけど、こっちでは結構下がったんじゃないでしょうか。

 シンガポールにおけるW杯の盛り上がりというのは相当なもので、好カードがある日のパブエリアは昼間から周辺ビルも含めて駐車場が一杯になってしまうほど、こぞってスクリーンにクギ付けになっていました。週末の夜なんかはもう大変です。ちょっと試合開始時間に遅れるとどこのパブや飲み屋も座れない。対照的に通りはガラガラ。みんな熱中していたんですねえ。

 しかし、自国チームが出ているわけでもないのになんでそんなに盛り上がるのか?それほどシンガポール国民はみんながサッカーフリークなのか?というとそうじゃなくて、皆さん賭けているんです。日本もJリーグ対象のサッカーくじがありますが、シンガポールでは国内リーグのみならずW杯でもくじが販売されていました。したがって、翌日会社でW杯結果について「勝った」「負けた」と言っているのは、どこどこの国が勝った負けたではなく、自分が何ドル勝った負けた、ということを言っていることが多いです。したがって、「上手い」「下手」というのもテクニックや戦術じゃなくて、賭け方のことだったりします。そんなわけですので、結果の話の中に「引き分け」はありません。で、私はというと、トルコ戦での日本の敗戦が尾を引き、トータルでは75ドル程の負けとなりました。